とでんものがたり・26系統=今井~東荒川

26系統=今井~東荒川=昭和27年(1952年)5月21日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和27年(1952年)5月21日廃止

今井=瑞江=一之江三丁目=一之江=西一之江=西一之江一丁目=松江=東小松川=東荒川



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

今井~瑞江~一之江~松江~中ノ庭(東小松川?)~東荒川(城東電車)

注釈
この路線は全線、城東電車でした。



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

西荒川から東荒川まで、橋を渡さなかったために、この電車は「都電の飛地」のようになってしまってました。
浦安まで伸ばせばよかったのに・・・。^±^;
東京ディズニーランド(TDL)の需要があったのに。^±^;
この時代、TDLなんてあるわけねえだろうがっ!(゚Д゚)ノx±x。
起きて寝言を言ってると承知しないぞっ!(゚Д゚)ノ。x±x。



とでんものがたり。^±^ノ

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クリックしていただければ、より大きな画像となります。

こちらは昭和9年の鉄道地図です。
20180331・都電26系統・城東電車

城東電車ですね。正確に言えば、城東電軌(でんき)ですか。
錦糸町から東の、都電を担当してたようですね。
西荒川行き、洲崎行きなどがあり、さらに、東荒川から今井行きがあったようです。

この都電は、大昔に廃止になりました。昭和27年(1952年)5月21日に役割を終えました。
計画では西荒川~東荒川の、荒川の間をつなげたかったらしいのですが、その夢もかなえられないままに・・・。
そしてトロリーバスもその後、走ったのですがそれも1969年(昭和43年)に廃止。
現在では、都営バスに変わっています。

都電の軌跡はもう残ってないようですが、記念モニュメントはどこかにあるようです。

うーむ、「モスリン裏」って・・・^±^;
♪モスリンや、モスリン~・・・φ^±^ノ・・・ドンジャガウンジャガラン、カサクヤーン←適当
それを言うなら「モスラ」じゃんか!(゚Д゚)ノx±x。ノφ
適当に歌うなよなっ!(゚Д゚)ノx±x。ノφ

「今井」。東荒川線の終点ですが、「下今井町」は、1980年(昭和55年)まで、住居表示され、「東葛西」になるまで存在してました。ただ、ものすごく面積は小さかったのですが。
その以前に「今井町(直前は「上今井)」もありましたが、こちらは、1938年(昭和13年)に早々と消えて、「西瑞江(3~4丁目)」「江戸川(3~4丁目)」という新町名になりました。

「中ノ庭」は「なかのにわ」と読みます。「東京府南葛飾郡東小松川村」の小字でした。この小字は、1932年(昭和7年)に江戸川区になり、町名地番整理されるまでは、「東京府南葛飾郡松江町大字東小松川字中之庭」として、存在していたのではないかと推測します。

この都電は資料にも残ってないので、以上です。^±^;

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とでんものがたり22=昭和初期の市電その⑦=東京市電の好況でも抱える苦悩・2

1941年(昭和16年)、無謀にも、日本軍が領土を広げるべく、真珠湾攻撃をしている頃、東京では・・・。
ノロノロと走る木炭バスと、座席を取り払ってすし詰め状態の満員の市電が行き交うありさまでした。
市電に乗りあぶれた場合は、歩かなくてはなりませんでした。
そんな折、1943年(昭和18年)7月、東京に都政が施行、「東京市電」も「東京都電」となります。
 
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とでんものがたり・25系統=西荒川~日比谷公園

25系統=西荒川~日比谷公園=西荒川~須田町、昭和43年(1960年)9月29日廃止・須田町~日比谷公園、昭和43年(1968年)3月31日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和43年(1960年)9月29日廃止
青色=昭和43年(1968年)3月31日廃止

西荒川=小松川四丁目=小松川三丁目=浅間前=亀戸九丁目=亀戸七丁目=亀戸六丁目=水神森=亀戸駅前=錦糸堀=錦糸堀車庫=江東橋=緑町三丁目(緑三丁目)=緑町二丁目(緑二丁目)=東両国緑町(緑一丁目)=東両国三丁目(両国三丁目)=東両国二丁目(両国二丁目)=両国=浅草橋=豊島町(東神田)=岩本町=須田町=淡路町=小川町=美土代町=神田橋=大手町=和田倉門=馬場先門=日比谷(日比谷公園)



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。

江東橋=緑町五丁目×=緑町三丁目=亀沢町(東両国緑町)=相生町(東両国三丁目?)=東両国(東両国二丁目?)=両国=浅草橋=左衛門橋×=美倉橋×=和泉橋×=万世橋×=須田町=小川町=美土代町=神田橋=大手町=和田倉門=馬場先門=日比谷

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

西荒川~小松川(小松川四丁目)~新町(小松川三丁目)~浅間前~モスリン裏(亀戸七丁目)~学校前(亀戸六丁目)~水神森~五ノ橋通(亀戸駅前)~十間川×~錦糸堀(城東電車)

錦糸堀=錦糸堀車庫前=江東橋二丁目(江東橋)=緑町四丁目×=緑町二丁目=緑町三丁目=緑町二丁目=東両国緑町=東両国二丁目=両国=浅草橋=豊島町=岩本町=須田町=淡路町=小川町=美土代町=神田橋=大手町=和田倉門=馬場先門=日比谷

注釈
西荒川から錦糸堀までは城東電車。



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

西荒川はこの都電の終点ですが、荒川のほとりにありました。
大昔、その対岸にも「東荒川」という電停があり、今井まで走っていましたが、城東電車の名残です。
またこれは、都電廃止ブームとは全然昔の昭和27年(1952年)5月20日に廃止となってしまいました。都電はその代りにトロリーバスを走らせたのですが長続きせず、昭和43年(1969年)に廃止され、都営バスに代わっています。
トロリーバスくらい走らせればよかったのにね。^±^;←こいつの脳みそもトロリーバス
お前の脳みそもトロリーバスだな!(゚Д゚)ノx±x
とろけてるくせによっ!(゚Д゚)ノ。x±x。・・・とろけるチーズじゃないってば



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

1954年(昭和29年)6月10日です。
両国周辺の地図です。
20180331・都電25系統・S290610・両国

昭和29年、国技館は、両国駅南口にあったのですね。メモリアルホールとあります。
実は、この位置が「国技館」として正しいのです。
そもそも、回向院(えこういん)で相撲興行が行われていたことから、大相撲が始まりました。
その回向院に隣接しているわけで・・・。^±^;
その後、メモリアルホールは、日本大学が日本相撲協会から旧国技館(墨田区両国)を買収して、日本大学講堂となりました。
大相撲で日本大学出身者が強いのは、こんな理由もあったのでしょうか。

相撲じゃなく、都電の話しろよなっ!(゚Д゚)ノx±x。

当該の25系統は京葉道路を走るのですが。^±^;
ネズミのしっぽみたいに、チョロっと伸びている「両国駅前」電停。
ここから発車してたのは、12系統の新宿駅前行きだけでした。^±^;
その路線名も「都電両国駅引込線」と言います。^±^;
引込だか引きこもりだか知らないけど・・・。^±^;
なんだか、小バカにしてる感じ・・・。^±^;
♪小バカバーナ、パ~オパ~オパ~・・・φ^±^ノ

両国駅をバカにするんじゃないよっ!(゚Д゚)ノx±x。

「亀戸」ですが、元々の地名は「亀島」(または亀ヶ島、亀津島)で、その名の通り亀の形に似た島というところから来ています。後に島の周辺に土砂が堆積して周りの島々と陸続きになり、亀島は亀村と呼ばれるようになったそうです。さらに、現在の亀戸三丁目あたりにあった(亀戸天神から北東400メートル足らずの場所)「臥龍梅(がりゅうばい)」の庭の井戸である「亀ヶ井」があったので「亀井戸」となり、「井」の字が抜けて現在に至ったのです。
この辺り、亀沢だの亀戸だの、もうちょっと北には亀有がありますよね。亀のつく名前の血が多いのですが、それぞれ由来が違うようです。
亀戸は、亀の形の島が由来ですが、墨田区亀沢は、亀戸説(亀戸と亀沢が立地的にも近辺ということで)からのものもありますが、こちらは、昔、旗本荒川 助力郎の屋敷内にあった池に「亀」がたくさん泳いでいたからという説もあります。
亀有は、昔、この地を「亀無・亀梨(かめなし)」と呼ばれていたのを、縁起担ぎから「有り」として、「亀有」になった説で、もともとは、低湿地帯の中に「亀」の甲羅の形を「成す」土地だからということで付けられた、「亀なす」から着いたと言われてます。

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とでんものがたり21=昭和初期の市電その⑥=東京市電の好況でも抱える苦悩・1

しかし、日中戦争中の黄金時代も、いいことばかりではありませんでした。
乗客が激増するゆえ、交通量緩和対策に乗り出さなくてはいけなかったのです。市側は、以下の通り「3か条」で、一計を案じます。
一.通勤者以外の者で買い物や用足しに乗車する場合は、なるべく正午を中心として前後6時間のうちに済ますこと
一.短距離の乗り物利用は避けて歩くこと
一.他人の迷惑になる持ち物は車内に持ち込まないこと
 

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とでんものがたり・24系統=福神橋~須田町

24系統=福神橋~須田町=昭和47年(1972年)11月12日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和47年(1972年)11月12日廃止

福神橋=柳島=十間橋=押上駅前=業平橋=吾妻橋二丁目×=【本所吾妻橋】=吾妻橋一丁目×=浅草=雷門=田原町(浅草一丁目)=菊屋橋=清島町(松ケ谷一丁目)=稲荷町(下谷神社前)=上野駅前=上野駅南口=上野公園=広小路(上野広小路)=黒門町(上野一丁目)=末広町(外神田五丁目)=旅籠町(外神田三丁目)=万世橋=須田町



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。

押上橋(京成電車前・押上駅前)=中ノ郷(吾妻橋二丁目)=吾妻橋(吾妻橋一丁目)=本所表町=外手町=厩橋=駒形町=(←開通直後は厩橋を迂回か?)=雷門=東仲町=田原町=菊屋橋=清島町=稲荷町=車坂町(上野駅前)=上野ステーション前(上野駅南口)=上野公園前=上野広小路=黒門町=末広町=万世橋=須田町

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

柳島=柳島妙見前(十間橋)=京成電車前(押上駅前)=業平橋=吾妻橋二丁目=吾妻橋一丁目=吾妻橋東×=吾妻橋西(浅草)=雷門=田原町=菊屋橋=清島町=稲荷町=上野駅前=上野駅南口=京成電車前(←京成上野駅)×=上野公園前=上野広小路=黒門町=末広町=旅籠町=万世橋=須田町

注釈
1923年(大正2年)12月、開通区間は、押上橋(押上駅前)から須田町。 吾妻橋未開通のため雷門始発か、または厩橋迂回か。
雷門~押上間は、外手町~押上は、23系統の電車あり。
1935年(昭和10年)、開通区間は、柳島から須田町。



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

23系統ともに、こちらも晩年まで残っていました。
浅草から上野を通り、須田町まで行く都電でした。
こちらも残しておけばよかったですね。
上野から浅草間は、海外旅行者からも人気のあるエリアで、もしも都電が残ってたら素敵だったでしょう。
現に、海外の観光地には、市街電車などがクラシカルに残ってますものねえ。
出来れば復帰してもいいものかな、と思ってますが・・・。
いかがでしょうかね?^±^ノ



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

「浅草」の比較です。

1954年(昭和29年)6月10日です。
20180331・都電24系統・S290610・浅草比較

1960年(昭和35年)2月1日です。
20180331・都電24系統・S350201・浅草比較

田原町の周辺の町名が変わっておりますね。
文字が細かくて見にくいですが。^±^;
田原町が、1丁目~2丁目だったのが1丁目~3丁目に。北仲町という町名もできています。
それと銀行がだいぶ増えましたね。^±^;
てか、それぞれの違いを調べるのって、「ウォーリーを探せ」ばりの間違い探しみたいな感覚ですが。

浅草雷門始発の電車、気になりますよね。^±^;

「福神橋」。都電の終点ですね。
とても縁起のいい名前だけに、残してほしかった路線の一つですが、こちらからは東京スカイツリーの絶景スポットとしても有名らしいですね。
亀戸の七福神、もしくは香取神社、或いは吾嬬神社への参道にあやかり、つけられたなど諸説ありますが、縁起のいい名前のこの橋を渡って神様に会えるなんてロマンチックじゃありませんか?
その近くの「十間橋」は、北十間川の川幅が十間あるところからつけられたそうです。一間が1間は約1.818 1818メートルだから、十間ということは18メートルちょいですか。
それにしても、名付け方が、単純~。^±^ノ
お前の脳みそほど単純じゃないぞ!(゚Д゚)ノx±x。

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とでんものがたり20=昭和初期の市電その⑤=戦争中、市電は意外と黄金時代に・2

1937年(昭和12年)7月、中国の盧溝橋(ろこうきょう)から端を発し、日中戦争が勃発します。
ところが市電は、これが思わぬ「黄金時代」をもたらすこととなります。
開戦により、輸入が減少したうえ、軍需優先ということで、一般市場のガソリンが払底(ふってい)することとなりました。
そのために、ライバルである円タクやバスが大きな打撃を受けたからなのです。
 

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とでんものがたり・23系統=福神橋~月島通八丁目(月島)

23系統=福神橋~月島通八丁目(月島)=昭和47年(1972年)11月12日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。
5.×は、廃止電停です。

赤色=昭和47年(1972年)11月12日廃止

福神橋=柳島=十間橋=押上駅前=業平橋=吾妻橋二丁目×=【本所吾妻橋】=吾妻橋一丁目×=駒形橋=厩橋一丁目(本所一丁目)=石原町一丁目(石原一丁目)=墨田区役所=東両国緑町(緑一丁目)=千歳町(千歳三丁目)=森下町=高橋=清澄町=江東区役所=平野町=深川二丁目=深川一丁目=門前仲町=越中島=新佃島=月島通三丁目(月島三丁目)=月島通八丁目(月島)



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。

押上橋(京成電車前)=業平橋=中ノ郷(吾妻橋二丁目)=吾妻橋(吾妻橋一丁目)=本所表町(駒形橋)=外手町(厩橋一丁目)=石原町(石原町一丁目)=車庫前(墨田区役所)=亀沢町(東両国緑町)=林町(千歳町)=森下町=高橋=霊岸町(清澄町)=万年町=黒亀町×=黒江町(永代二丁目)=門前仲町

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

柳島=柳島妙見前(十間橋)=京成電車前(←押上駅前)=業平橋=吾妻橋二丁目=吾妻橋一丁目=駒形橋=厩橋一丁目=石原町一丁目=横網町(墨田区役所)=東両国緑町=堅川一丁目(千歳町)=森下町=高橋=清澄町=深川区役所前(江東区役所)=平野町=万年町(深川二丁目)=亀住町(深川一丁目)=門前仲町=黒船橋×=越中島=新佃島=月島通二丁目×=月島通五丁目×=月島通八丁目

注釈
1923年(大正2年)12月、開通区間は、押上橋(押上駅前)~黒江町(門前仲町)間。
1935年(昭和10年)、開通区間は、柳島から。


都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

都電は、往年のころには四通八達してましたが、今まで一度も都電の通ってなかった区が4つあります。

1.葛飾区
2.練馬区
3.世田谷区
4.大田区

西荒川あたりは江戸川区だったり、足立区北千住付近を都電が走ってたり、と、この辺りはわかると思いますが、中野区と杉並区でも都電が走ってました。14系統で、新宿から荻窪間の、青梅街道の路面と通って。
板橋区は板橋駅~志村の方で走り、品川区は目黒駅、五反田駅周辺、目黒区は中目黒付近で都電が走っていました。
葛飾区、大田区、練馬区はわかりますが、世田谷区がひっかけ問題ですね。
玉川電車、通称「玉電」が国道246号の路面を走っていましたが、残念ながらこれは都電ではありません。
ただ、中目黒や渋谷から天現寺橋のほうを走る電車も元は玉川電車でしたが、やがて都電化され、袂を分かつ結果となってしまいました。



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

こちらは門前仲町の地図、1954年(昭和29年)6月10日です。
20180331・都電23系統・S290610・門前仲町

こちらは吾妻橋の地図、1960年(昭和35年)2月1日です。
20180331・都電23系統・S350201・吾妻橋

この都電は晩年まで頑張ってました。
残してくれてもよかった電車ですね。^±^
もしも、残してくれてたら、「東京スカイツリー」の横に都電が走っていて、撮影スポットにもなっていたはず。
もっとも、「業平橋」電停は「東京スカイツリー前」に変更されてたかもね。
あるいはもっとスカイツリーに近い「本所吾妻橋」が変更しましたかね。
なお、「本所吾妻橋」は、古くは、「吾妻橋二丁目」と「吾妻橋一丁目」を合併した電停です(もっと細かく言えば、「吾妻橋二丁目」が残ったに等しいようですが)。
したがって、「吾妻橋一丁目」と「吾妻橋二丁目」を復帰し、それぞれ、「吾妻橋一丁目」を「東京スカイツリー前」に、「吾妻橋二丁目」を「本所吾妻橋」に再変更していたかもしれないですね。
とにかく、東武線の業平橋の駅名まで変わったほどですから。
うーむ、都電は残してほしかったなあ。^±^;

昭和29年の門前仲町周辺ですが、大昔の大正時代は、深川一丁目電停~永代二丁目電停の道路を走っていたようです。
また、吾妻橋の地図は昭和35年2月のものですが、まだ「吾妻橋二丁目」と「吾妻橋一丁目」の電停がありました。
1960年(昭和35年)12月4日、地下鉄都営浅草線の「本所吾妻橋」駅ができて、そのころ、2つの電停が合併した模様。
参考までに、昭和40年の地図では、都電は「本所吾妻橋」の電停になってます。

23系統はあまり縁がなかったけど、最後まで残った都電だったのですね。

「新佃島」。新〇〇と名がつく都電の電停名は珍しいほうかもしれませんね。さて、この佃島ですが、大阪の佃(西淀川区)が由来しています。
なお、その佃島も、「石川島」「佃島」と呼ばれた二つの島(江戸時代後期に一体となった)を起源としているそうです。
1626年、旗本石川八左衛門重次が徳川家光から拝領し、その屋敷を構えたことから、その島が「石川島」と呼称されるようになったのが始まりで、それに遅れることわずか、江戸に移住した摂津国の漁夫たちが、1645年、石川島近くの砂州に築島して定住することとなり、この島を故郷である佃村にちなんで「佃島」と命名したのだそうです。したがいまして、江戸の佃島の住人達の故郷は大阪になるんですよね。
この地のソウルフードとして佃煮が有名ですが、大阪の腕の立つ漁師が江戸で漁業を営む際、悪天候により船が出られない時に保存食として、小魚や貝類を塩や醤油で煮詰めて作ったのが始まりで、保存性の高さと価格の安さから江戸庶民に普及し、さらには参勤交代の武士が江戸の名物・土産物として各地に持ち帰ったため全国に広まったといいます。
では、佃島の前はこの島、なんといってたかというと、森島、鎧島などと呼称されていたらしいのですが、最初に石川八左衛門重次が居ついて「石川島」となり、さらに佃村の漁師が居ついて佃島となり、有名になったそうです。
石川島の地には「石川島播磨」がありますね。こちらは、水戸藩により創設された石川島造船所が始まりです。

この佃島の話は以前もしたことあったので、今度は「越中島」の話もしておきましょう。
江戸時代初期に、大川河口の中洲地帯に榊原康政の兄である、榊原清政の孫にあたる旗本榊原越中守照清の屋敷があったため、俗に中州が「越中島」と呼ばれていたことから地名が付けられたらしいです。

ついでに、「月島」は、1892年(明治25年)の「東京湾澪浚(みおさらい)計画」に基づき、東京湾から浚渫した土砂を利用して埋め立てられたといいます。近隣の「築地」などと関連性がありそうで、その島から、「築島」と名付けられ、やがてそれが月島となった説と、東京湾内にあった月の岬という月見の名所からつけられたという説とがありますが、もし後者だとしたら、ロマンチックな話ですよね。

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とでんものがたり19=昭和初期の市電その④=戦争中、市電は意外と黄金時代に・1

ところが、慢性的な不況と、地下鉄、バス、円タク等の競合もあり、市電はますます赤字となってしまいます。
1935年(昭和10年)には、とうとう、東京市電は従業員を一斉に解雇、翌日初任給による再雇用という手段を打ちます。
(姑息だなあ。^±^;)
そして、花電車で「市電25周年」のキャンペーンを打ち出し、市電は景気を持ち直します。
その年の4月に観光祭、11月に新議事堂竣工記念と、そのたびに花電車を運行するチャンスも手伝って、景気回復したのです。
 

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とでんものがたり・22系統=南千住(雷門)~新橋

22系統=南千住(雷門)~新橋=南千住~日本橋、昭和46年(1971年)3月18日廃止・日本橋~新橋、昭和42年(1967年)12月10日廃止・同系統支線の雷門~駒形二丁目(~新橋)、昭和42年(1967年)12月10日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和46年(1971年)3月18日廃止
紫色=昭和42年(1967年)12月10日廃止(支線)、臨時22系統
青色=昭和42年(1967年)12月10日廃止

南千住=泪橋=山谷町(東浅草二丁目)=吉野町三丁目(東浅草一丁目)=吉野町二丁目(今戸)=聖天町(浅草七丁目)=隅田公園=浅草=駒形二丁目=厩橋=蔵前三丁目(蔵前二丁目)=蔵前一丁目=浅草橋駅前=浅草橋=馬喰町=小伝馬町=本町三丁目=室町三丁目=室町一丁目=日本橋=通三丁目=京橋=銀座二丁目=銀座四丁目=銀座七丁目=新橋

雷門=駒形二丁目=



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。

南千住=泪橋=山谷町=吉野町=吉野橋=聖天町×(←復帰あり)=山ノ宿=雷門=駒形町=厩橋=蔵前=森田町×=須賀橋×=茅町×=浅草橋=馬喰町三丁目×=鞍掛橋×=小伝馬町=鉄砲町(本町三丁目)=本石町三丁目(室町三丁目)=室町(室町一丁目)=日本橋=通三丁目=中橋広小路×=南伝馬町×=京橋=銀座二丁目=銀座尾張町(銀座四丁目)=竹川町×=新橋×=新橋ステーション前(新橋)

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

南千住=泪橋=山谷町=吉野町×=吉野橋×=山ノ宿×=吾妻橋西(浅草)=駒形町(駒形二丁目)=厩橋=蔵前三丁目=蔵前一丁目=浅草橋二丁目×=浅草橋駅前=浅草橋=馬喰町=小伝馬町=本町三丁目=室町三丁目=室町一丁目=日本橋=通三丁目=京橋=銀座一丁目×=銀座三丁目×=銀座四丁目=銀座七丁目=新橋



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

これは、こち亀(こちら葛飾区亀有公園前派出所」の漫画の一コマに描かれてた記憶があります。
両津巡査の実家は浅草の佃煮屋ですからね。
時々実家に帰る両津巡査ですが、浅草に帰るということにより彼の少年時代を回顧するシーンが多くなるわけで、そうなると必然的に都電が描かれることとなりますね。
一度、両さんは、大原部長を励ますために、大金持ちの中川巡査の力を借りて亀有に電車を作ったことがありましたがね。
結局、半分は私利私欲だったんですがね。^±^;



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

1954年(昭和29年)6月10日です。
南千住の地図です。
20180331・都電22系統・S290610・南千住

この系統には支線があったのですね。
浅草雷門から駒形二丁目までです。
「臨時22系統」の扱いです。
早や、1967年(昭和42年)に、日本橋~銀座~新橋間とともに廃止になりましたが。
これは浅草寺参りのための臨時の電車ですね。ただ、通年で走っていたと思います。
それも新橋まで走っていたかと。^±^

北千住だけでなく、南千住も都電が走っていました。
「北は北千住から、南は南千住まで、日本全国津々浦々・・・」。
浅草の演芸ホールでは、売れない漫才師が、今日もお寒いギャグでほざきます。

北千住からの都電は、上野を通りますが、南千住からの都電は、浅草を通ります。
泪橋、山谷のドヤ街を通り、浅草の神谷バーの横をすり抜け、人形の浅草橋へ。馬喰町や小伝馬町のなどの問屋街を抜け、日本橋を渡り、銀座を突っ切り、新橋へ。
そんなルートです。^±^

南千住の地図を見ると、国鉄(現・JR)の駅から都電の電停まで、ちょっと距離がありそうです。
電停名も、さすがに気が引けるのか、「南千住駅前」ではなく、「南千住」と呼び捨てです。
もっと離れている北千住は、「駅前」になってるのにね。^±^;
南千住の南側には大きな貨物駅、「隅田川駅」がありますね。

「北は北千住から、南は南千住まで」って・・・^±^;
売れない漫才師か、お前はよっ!(゚Д゚)ノ。x±x。

今日は「南千住」ですが、千住が東京の区に編入する際、北千住を足立区に、南千住を荒川区に分けてしまいましたが、そもそも、編入前も、「東京府南足立郡千住町」(北千住)と「東京府北豊島郡南千住町」(南千住)とに分かれていましした。
しかも、よく見てみると、「郡」もそれぞれ違っていますね。この二つの町の間には荒川が流れていますが、近代の北千住と南千住の間には、ずいぶんと隔たりが出来てしまったのかと思います。
一度、南千住から北千住まで歩いたことがありますが、なかなか遠かった印象もありますね。
参考までですが・・・。
「東京府南足立郡千住町」(北千住)は、大字本町一~五丁目(千住一~五丁目)、大字元町、大字大川町、大字柳町、大字寿町、大字中居町、大字龍田町、大字宮元町、大字緑町、大字仲町、大字河原町、大字橋戸町、大字旭町、大字東町、大字柳町、大字関屋町、大字曙町、大字八千代町、大字高砂町、大字末広町、大字若松町、大字弥生町、大字栄町。
「東京府北豊島郡南千住町」(南千住)は、大字千住南、大字元下谷、大字三之輪、大字地方橋場、大字千束、大字三河島。

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とでんものがたり18=昭和初期の市電その③=女子車掌が大活躍・2

当時の女子車掌の採用案件ですが、16歳から22歳までの独身女性が条件で、日給は80銭、手当てを加えて合計1円20銭といいます。
200名を採用し、8時間勤務制としました。車掌はそれ以降、女性のみ採用、経費削減の一端として、とあります。
当時の朝日新聞には、青山教習所で採用の受付をしたそうですが、応募者が1360名もいて、そのうち2割は女学校出身だったとか。
なかなかの高学歴だった模様です。
 

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とでんものがたり・21系統=千住四丁目~水天宮前

21系統=千住四丁目~水天宮前=三ノ輪橋~水天宮前、昭和44年(1969年)10月26日廃止・千住四丁目~三ノ輪橋、昭和43年(1968年)2月25日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和44年(1969年)10月26日廃止
青色=昭和43年(1968年)2月25日廃止


千住四丁目=北千住駅前=足立区役所=千住仲組=千住大橋=南千住六丁目=三ノ輪橋=三ノ輪車庫=金杉二丁目(根岸五丁目)=金杉仲通(下谷三丁目)=金杉一丁目(根岸四丁目)=坂本二丁目(下谷二丁目)=下車坂(北上野一丁目)=上野駅前=御徒町三丁目(御徒町駅前)=御徒町二丁目(台東三丁目)=御徒町一丁目(台東一丁目)=和泉町=秋葉原駅東口=岩本町=元岩井町(岩本町二丁目)=小伝馬町=堀留町=人形町=水天宮前



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。

千住大橋=通新町(南千住六丁目)=三ノ輪橋=三ノ輪車庫前=金杉下町=金杉上町=坂本四丁目=坂本二丁目=下車坂町=車坂町(上野駅前)=御徒町(御徒町三丁目)=仲御徒町=松永町=和泉橋×=松枝町(元岩井町)=小伝馬町=堀留三丁目(堀留町)=人形町=水天宮前

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。
深緑色=撤廃路線

千住新橋(千住四丁目)=千住二丁目(北千住駅前)=大師道(足立区役所)=千住中組(千住仲組)=千住大橋=南千住六丁目=三ノ輪橋=三ノ輪車庫前=金杉下町(金杉二丁目)=金杉上町(金杉仲通)=坂本四丁目(金杉一丁目)=坂本二丁目=下車坂町(下車坂)=上野駅前=御徒町三丁目=仲御徒町(御徒町二丁目)=御徒町一丁目=松永町(和泉町)=神田佐久間町(秋葉原駅東口)=岩本町=元岩井町=小伝馬町=堀留町=人形町=水天宮前~土州橋

注釈
水天宮前~土州橋=21系統(以前は北千住~土州橋、1944年5月4日廃止。



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

一足お先に、足立区から都電が廃止されているんですね。
東京都区内でも、都下や、他の県境に近い区から廃止されているようにも見られます。
そういうところこそ、電車が必要とも思えるんですが。
まあ、車の邪魔、通勤の邪魔、って意図があったのでしょうか。^±^;
図星刺すなよな!(゚Д゚)ノx±x。



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
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1954年(昭和29年)6月10日です。
北千住の地図です。
20180331・都電21系統・S290610・北千住

北は千住のほうから、南は品川のほうまで、都電が走ってました・・・。
まさに、「四通八達」という言葉がふさわしい、昭和30年代から40年代は、都電が最盛期で、あちこちで、チンチン、と小気味いい音を立てては、ガーッと走っていきます。

ガーーーーッ、ガーーーーッ、「次は岩本町ですっ」、・・・チンチン。
ガーーーーッ、ガーーーーッ、ガーーーーッ、ゴトゴトゴトッ、ガーーーーッ。

・・・そんなモーター音にしびれたものでした。

・・・って、これ以上書くと小説が出来そうなので、この辺にします。^±^;
どうせ後が続かなくなったんだろうよっ!(゚Д゚)ノx±x。

北千住の地図を見ると、千住桜木町に、「四本煙突」の名前が。(゜∀゜)ノ
これは通称、「おばけ煙突」とも言って、いろいろな方向からこの煙突を見ると本数が変わるのでこの名をつけられたといいます。
今はもうありませんが。^±^;←こいつは「おバカ煙突」

この系統は、上野の駅の、公園のある反対側を、山手線に沿って走っていました。
上野の山とは反対だし、アメ横とも反対側にあるので、比較的マイナーな路面ですね。
観光客があまり来ないほうね、来ないほう・・・。^±^;
ただ、今は亡き、大学時代の親友がこの沿線からさほど遠くない場所に住んでいたので・・・。

もし廃止してなかったら、きっと乗っていただろう路線です。

「千住仲組」。
千住は、元々は千手観音の「千手」で、1327年(嘉暦2年)に新井図書政次が荒川で網で千手観音像を拾い、この地を千手と呼んだことが始まりだそうです。
江尾時代には、千住北組、千住中組、千住南組と分かれていて、日光街道・奥州街道の宿場として栄えていたころには、元の千住宿は1-5丁目に分けられて本宿、最初に追加された3町は新宿、対岸の2町は南宿(下宿)と呼ばれていたそうです。
現在では、本宿であった千住北組、新宿であった千住中組は足立区に、千住南組は荒川区南千住です。もっと細かくいえば、千住中組は、千住橋戸町、千住河原町、千住仲町に、千住北組は、千住1~5丁目に該当します。
それでは、「中組」はではなく、どうして「中」ではなく「仲」を使っているのでしょうか。ちょっとアカデミックな話題になってしまいますが。
これは現存する「千住仲町」が由来するのではないかと思われます。足立区が東京になる前から、「千住町大字仲町」という住所がありましたからね。
「中」を「仲」にしているのは、例えば「仲御徒町」と同じ理屈なのではないかと思います。日本全国にも、「中町」も「仲町」もありますけどね。
辞書でを引くと、語源は一緒ですが、「中」は中央、真ん中を意味し、「仲」は、人との関係を意味することが多いですよね。
したがって、町の真ん中にある場所が「中町」であり、町の中で最も栄えている場所が「仲町」なのではないかと推測しますがいかがでしょうか。
つまり、本来の「中町」に、これまたよく耳にする町名の「栄町」の要素もあるのではないかと。
人と人とが触れ合う場所に准えて(なぞらえて)、「仲」の字を充てたのではないかと思うのですが。
「千住仲町」も、「栄えている」のを強調したかったのでは?

~~~~~~~~~~

とでんものがたり17=昭和初期の市電その②=女子車掌が大活躍・1

少年車掌廃止後は、「女子車掌」がお目見えし、もてはやされました。
最初に市内電車に女子車掌が登場したのは1925年(大正14年)3月でした。
ところが、結婚退職者が多い等の理由により、2年後の1927年(昭和2年)6月に、いったん廃止になります。
しかし、1934年(昭和9年)から、再び、女子車掌を採用するようになりました。「腰掛的」でさらに人件費削減と踏んだのでしょうか。
 

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とでんものがたり・20系統=江戸川橋~須田町

20系統=江戸川橋~須田町=昭和46年(1971年)3月18日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和46年(1971年)3月18日廃止

江戸川橋=音羽七丁目(音羽一丁目)=音羽三丁目(音羽二丁目)=護国寺前=大塚仲町(大塚三丁目)=氷川下町(千石三丁目)=丸山町(千石二丁目)=駕篭町「かごまち」(千石一丁目)=上富士前町(上富士前)=神明町(神明町車庫前)=動坂町(動坂下)「どうざかした」=道灌山(道灌山下)=駒込坂下町(千駄木三丁目)=団子坂(団子坂下)=千駄木町(千駄木二丁目)=八重垣町(根津二丁目)=宮永町(根津一丁目)=七軒町(池之端七軒町→池之端二丁目)=動物園前=上野公園=広小路(上野広小路)=黒門町(上野一丁目)=末広町(外神田五丁目)=旅篭町(外神田三丁目)=万世橋=須田町

臨時20系統(1)=池袋駅前~上野広小路
桃色=臨時系統、日曜祝日運行。廃止時期不明、昭和44年(1969年)10月26日廃止か?

池袋駅前=日ノ出町三丁目=日ノ出町二丁目=大塚坂下町=護国寺前==大塚仲町(大塚三丁目)=氷川下町(千石三丁目)=丸山町(千石二丁目)=駕篭町「かごまち」(千石一丁目)=上富士前町(上富士前)=神明町(神明町車庫前)=動坂町(動坂下)「どうざかした」=道灌山(道灌山下)=駒込坂下町(千駄木三丁目)=団子坂(団子坂下)=千駄木町(千駄木二丁目)=八重垣町(根津二丁目)=宮永町(根津一丁目)=七軒町(池之端七軒町→池之端二丁目)=動物園前=上野公園=広小路(上野広小路)

臨時20系統(2)=神明町車庫前~通三丁目
水色=臨時系統、日曜祝日運行。廃止時期不明

神明町(神明町車庫前)=動坂町(動坂下)「どうざかした」=道灌山(道灌山下)=駒込坂下町(千駄木三丁目)=団子坂(団子坂下)=千駄木町(千駄木二丁目)=八重垣町(根津二丁目)=宮永町(根津一丁目)=七軒町(池之端七軒町→池之端二丁目)=動物園前=上野公園=広小路(上野広小路)=黒門町(上野一丁目)=末広町(外神田五丁目)=旅篭町(外神田三丁目)=万世橋=須田町=神田駅前=今川橋=室町三丁目=室町一丁目=日本橋=通三丁目



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。
深緑色=撤廃路線

矢来下~江戸川橋=音羽九丁目×=音羽六丁目×=音羽三丁目=護国寺前=大塚仲町=氷川下町=丸山町=駕篭町「かごまち」=理研前×=上富士前町=神明町車庫前(神明町、後に神明町車庫前、復活)=駒込動坂町(動坂町)=道灌山下(道灌山、後に道灌山下、復活)=駒込坂下町=団子坂下(団子坂、後に団子坂下、復活)=駒込千駄木町(千駄木町)=根津八重垣町(八重垣町)=逢初橋(宮永町)=池之端七軒町(七軒町、後に池之端七軒町、復活)=上野動物園下(動物園前)=上野公園前=上野広小路=黒門町=末広町=旅篭町=万世橋=須田町

注釈
矢来下~江戸川橋、以前は矢来下~新橋駅、1944年(昭和19年)5月4日廃止。



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

こちらも比較的晩年に廃止になった系統です。
このくらい残しておいてもよかったのではないか、と思いますが。
何が何でも廃止するのも、と思います。^±^;
しかし、江戸川橋から須田町かあ・・・。^±^;
始点も終点も、中途半端だなあ。^±^;

♪チンチン、次は須田町・・・φ^±^ノ
今は亡き橘家円蔵師匠が、得意の落語である「鰻の幇間(うなぎのほうかん)」の枕で、寄席の観客たちを笑わせていたのをまだ覚えてます。



とでんものがたり。^±^ノ

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「上野」の比較です。

1954年(昭和29年)6月10日です。
20180331・都電20系統・S290610・上野比較

1960年(昭和35年)2月1日です。
20180331・都電20系統・S350201・上野比較

上野周辺の移り変わりですが、不忍池(しのばずのいけ)のほとりにトロリーバスの停留所の「池之端茅町」が出来てますね。
池のボート乗り場は2か所から1か所に減ってるのは本当でしょうか?
昭和29年にあった竹台高校はもとは上野公園内にあったのですかね。

しかし、都電廃止直後、須田町界隈を通ったことがありましたが、もう都電が通ることもない線路だけが2本×2本の合計4本、道路に沿って空しく残ってたのが忘れられません。
電停のポールなどは、すでに撤去されてました。
・・・寂しかったなあ。x±x。

上野周辺や浅草周辺などは、多少混雑しても、都電は残してほしかったですよね。
路面ありきでね。^±^ノ

この路線は、昭和10年ごろには、江戸川橋から矢来下まで走っていましたが、不要不急路線として残りませんでした。
鉄不足で、線路を戦争に持ってかれたのでしょう。+±+

「音羽」ですが、こちらは護国寺の町屋として作られたそうです。ところが町は流行らず(はやらず)、桂昌院の信任が厚かった奥女中の音羽という人物にこの門前町が与えられたため、地名になったそうです。
北の護国寺を中心にして、南に細長いのが特徴ですよね。最南端は神田川の「江戸川橋」ですが、神田川にかかるのに、なぜ「江戸川橋」・・・?
その答えは、神田川中流部分の、概ね大滝橋付近から船河原橋までの約2キロメートル強の区間ですが、このあたりがかつて、「江戸川」という名称だったところから名付けられたようで、現在の東京都と千葉県、埼玉県と流れる利根川水系の大きな河川とは関係がありません。
河川の名称での「江戸川」も1970年8月には「神田川」に統一されてしまいました。
なお、この周辺は住居表示される以前に、江戸川町と西江戸川町があったのですが町名も消失してしまいました。

~~~~~~~~~~

とでんものがたり16=昭和初期の市電その①=少年車掌で人件費削減

1927年(昭和2年)、関東大震災後の不景気はなお続きます。人件費削減のための対策として、切符を切る車掌の補助役とする少年を採用します。
「少年車掌」の登場です。ところが、少年車掌はすぐに廃止の憂き目にあいます。少年車掌を雇う余裕さえもなくなったのでしょうか。
1931年(昭和6年)に廃止になるまで、583人もの少年車掌を採用しました。
なお、1927年(昭和2年)は上野公園前の道路に鉄筋コンクリート製の「信号塔」がお目見えしました。また、円タク(タクシー)ももてはやされました。
 

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とでんものがたり・19系統=王子駅前~通三丁目

19系統=王子駅前~通三丁目=昭和46年(1971年)3月18日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和46年(1971年)3月18日廃止

王子駅前=飛鳥山=一里塚=西ヶ原二丁目=上中里(西ヶ原一丁目)=霜降橋=駒込駅前=駒込橋=上富士前町(上富士前)=駒込富士前町(駒込富士前)=吉祥寺町(吉祥寺前)=本郷肴町(向丘二丁目)=蓬莱町(本郷追分)=本郷追分町(向丘一丁目)=東大農学部前=東大正門前=東大赤門前=本郷三丁目=本郷一丁目(本郷二丁目)=湯島二丁目=神田明神=松住町(外神田二丁目)=万世橋=須田町=神田駅前=今川橋=室町三丁目=室町一丁目=日本橋=通三丁目



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。

高等学校前=大学正門前=大学赤門前=本郷三丁目=本郷一丁目=湯島五丁目=宮本町(明神前)=松住町=万世橋=須田町=鍛冶町(神田駅前)=今川橋=本石町三丁目(室町三丁目)=室町(室町一丁目)=日本橋=通三丁目

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

飛鳥山=一里塚=蚕糸学校前(西ヶ原二丁目)=滝野川区役所前(上中里)=霜降橋=駒込車庫前(駒込駅前)=駒込橋=上富士前町=富士神社前(駒込富士前町)=吉祥寺町=本郷肴町=蓬莱町=追分町(本郷追分町)=高等学校前(東大農学部前)=大学正門前(東大正門前)=大学赤門前(東大赤門前)=本郷三丁目=本郷一丁目=湯島五丁目(湯島二丁目)=明神前(神田明神)=松住町=万世橋=須田町=神田駅前=今川橋=室町三丁目=室町一丁目=日本橋=通三丁目

注釈
王子電車、王電が都電(市電)化するまでは、飛鳥山が始発。
1923年(大正2年)12月、「高等学校前(農学部前)が終点。



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

王子から駒込、東大の前を通る都電ですね。^±^
うっすらと記憶にあります。^±^;
僕ちゃんが、この都電で学校に通ってましたし。^±^;
大学は東大ですから・・・。^±^ノ
4月1日でもないのに、嘘をつくなよな!(゚Д゚)ノx±x。
大体、お前が小学校のころ、廃止になっただろうがっ!(゚Д゚)ノ。x±x。・・・ア、シマッタ

現存する都電荒川線は、ほとんど専用の軌道を走っていますが、一部、路面も走っています。
その中で、一番の有名なところは、王子駅~飛鳥山間です。
荒川線は飛鳥山から大塚方面に向かうのに、すぐに専用軌道を走るのですがこの路線は本郷通りをまっすぐ走ります。
都電廃止後、次々と町中は廃止するに、結構頑張って残ってくれたのですが、それでも時代時は勝てず、昭和46年、ひっそりと姿を消しました。



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
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地図は、1954年(昭和29年)6月10日です。
途中通過する、東大(東京大学)周辺の地図です。
20180331・都電19系統・S290610・東大周辺

王子から、飛鳥山公園の脇を抜けると荒川線と分かれ、まっすぐ路面を走りました。やがて都電は、駒込駅の上を走り、東京大学の正門、赤門と通って、本郷三丁目を突っ切り、神田明神の横を走り、万世橋からは銀座方面へ。
日本橋通三丁目まで走っていました。
すべて路面上を走る割に、交通渋滞を比較的避けられることができていたせいか、或いは「人畜無害」だったせいか、それはわかりませんが、この都電は、比較的晩年まで頑張りました。
都電の廃止は、一部の既に廃止区間(14系統、18系統、26系統、41系統)を除いて、1967年(昭和42年)から大規模にごそっと廃止され始め、第一次から第七次まで、順次、姿を消しました。大雑把に分ければ、以下の通りになりますが、このほかにも区間を変更されたのもありました。

第一次廃止=1967年(昭和42年)12月10日。
第二次廃止=1968年(昭和43年)3月31日、2月25日にも廃止あり。
第三次廃止=1968年(昭和43年)9月29日。
第四次廃止=1969年(昭和44年)10月25日。
第五次廃止=1970年(昭和45年)3月27日。
第六次廃止=1971年(昭和46年)3月18日。
第七次廃止=1972年(昭和47年)11月12日。

この都電は、惜しくも、昭和46年3月、「第六次」で姿を消しました。
最後まで残ったのは、錦糸町~日本橋、錦糸町~門前仲町、王子~赤羽、福神橋~月島、福神橋~須田町、葛西橋~須田町と、6路線でした。

比較的頑張ったほうだったのになあ。^±^;

「駒込」は、日本武尊が命名者との説があるそうで、格調高いです。
また、近所は桜を代表する「ソメイヨシノ(染井吉野)の発祥でもあります。
1932年(昭和7年)に、東京市豊島区が発足されるまでは、この駒込あたりは「巣鴨町大字上駒込」と「巣鴨町大字駒込染井」、「巣鴨町大字妙義坂下」でした。
ソメイヨシノの発祥は、「巣鴨町大字上駒込字染井」だったのではないでしょうか。「駒込染井」は、「駒込七軒町」が改称された地名とありますから。
なお、「下駒込」は、本郷区と下谷区に編入された、とあります。

~~~~~~~~~~

「とでんものがたり・番外編2」=大正時代の市電

九段坂などの厳しい坂には「立ちん坊」が何人かいて、市電を押して、それが「アルバイト」という時代がありました。
また、市電の窓を開ければ新聞が買えたりと。
市電がスピードを落とすのを見計らって市電の手すりにつかまり、車台に飛び乗ったりと。
今そんなことをすればたちまちにして電車を止めて「料金払え」と言われるか警察へしょっ引かれるのかも。
しかし、当時の車掌は、にこにこしてそれを見逃していたといいます。大らかな時代でした。
 

テーマ : 鉄道
ジャンル : 趣味・実用

とでんものがたり・18系統=志村坂上~神田橋

18系統=志村坂上~神田橋=昭和41年(1966年)5月29日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和41年(1966年)5月29日廃止

志村坂上=小豆沢町◎=蓮沼町=清水町=富士見通(大和町)=板橋十丁目(板橋本町)=板橋八丁目(仲宿)=板橋区役所=板橋五丁目◎=板橋駅前=滝野川五丁目=西巣鴨=新庚申塚=巣鴨四丁目=巣鴨車庫=巣鴨駅=西丸町(本駒込六丁目)△=駕篭町「かごまち」(千石一丁目)〇=北部原町(本駒込二丁目)△=南部原町(白山五丁目)〇=曙町(東洋大学前)※=白山上=指ヶ谷町(白山下)=八千代町(白山一丁目)=小石川柳町(西片一丁目)=初音町(小石川一丁目)=春日町(文京区役所前)※=後楽園前=水道橋=三崎町=神保町=一ツ橋=錦町河岸=神田橋

35系統都電で、文京区内の住居表示実施により、都電の電停名がそれに伴い変更になりましたが、18系統は一部が住居表示未実施個所もあったため、( )内の電停名が必ずしも正しいとは限りません。ご了承ください。

※=施設の有無により、電停名が変わったので旧電停名のまま廃止になった可能性あり
△=本駒込1~6丁目は昭和41年4月に住居表示実施=電停名変更後もありうるが、住居表示実施後にすぐ廃止なので旧町名の電停のままの可能性が高い
〇=千石1~4丁目、白山3~5丁目は昭和42年1月1日住居表示実施=旧町名の電停のはず
◎=板橋区内も、板橋、小豆沢などは住居表示変更後の廃止なので、電停名が変更してから廃止した可能性あり(停留所名不明)
上記以外の文京区内の電停名は、変更している可能性が高い

下線=昭和30年台の電停=板橋区が地番整理する前の電停(昭和29年版「東京ちょいとマップ」にて確認)
以上は、板橋区内の注釈



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。
深緑色=撤廃路線。

巣鴨車庫前(巣鴨二丁目←後に、巣鴨車庫前に復帰)=巣鴨橋=西丸町=駕篭町「かごまち=原町(小石川原町)=曙町=白山(白山上)=指ヶ谷町=掃除町(八千代町)=柳町=春日町=壱岐坂下=水道橋=本郷元町=湯島五丁目(順天堂前)=御茶ノ水~甲賀町(駿河台二丁目)~駿河台下~錦町三丁目~=神田橋

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。
深緑色=撤廃路線。

下板橋×=板橋郵便局前×=御代ノ台(滝野川五丁目)=西巣鴨町(西巣鴨)=庚申塚(新庚申塚)=巣鴨四丁目=巣鴨二丁目(巣鴨車庫)=巣鴨橋(巣鴨駅前)=西丸町=駕篭町「かごまち=小石川原町×=曙町=白山上=指ヶ谷町=八千代町=柳町(小石川柳町)=餌差町「えさしちょう}(初音町}=春日町=壱岐坂下(後楽園前)=水道橋=本郷元町(順天堂病院前)=順天堂前×=御茶ノ水~駿河台二丁目~駿河台下~錦町三丁目~錦町河岸=神田橋

注釈
御茶ノ水~錦町河岸、一ツ橋経由へ路線変更による、1944年(昭和19年)5月4日廃止し、神保町経由に変更。
1935年(昭和10年)は、下板橋始発。
1923年(大正2年)12月は、巣鴨車庫前が始発。



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

こちらも、江戸川区や中野・杉並区の都電ほどではないにしろ、ずいぶん早くから廃止になってしまいました。
41系統とともに、板橋区を走る都電でしたが、早々と廃止に・・・。
もちろん、乗ったことがありません。+±+
ただ、わが父母は、ひょっとすると、乗ったことがあるかもしれません。
というのも、一時期、板橋区志村の長後(ちょうご)のほうに住んでいたことがありますから。
長後は現在の坂下とか東坂下のほうですね。
まあ、なれそめは原宿だと言いますが、まあ、ちちくりあった場所のようですね。
・・・それはもう、ね。^±^ノ
・・・あ、と、ひと騒ぎ入れたところで。^±^;
ちょうご時間となりました~。^±^ノ
ダジャレにも劣るわっ、こいつっ!(゚Д゚)ノ。x±x。



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

その1。「滝野川」の比較です。

1954年(昭和29年)6月10日です。
20180331・都電18系統その1・S290610・滝野川比較

1960年(昭和35年)2月1日です。
20180331・都電18系統その1・S350201・滝野川比較

その2。「板橋」の比較です。

1954年(昭和29年)6月10日です。
20180331・都電18系統その2・S290610・板橋比較

1960年(昭和35年)2月1日です。
20180331・都電18系統その2・S350201・板橋比較

その3。「志村」の比較です。

1954年(昭和29年)6月10日です。
20180331・都電18系統その3・S290610・志村比較

1960年(昭和35年)2月1日です。
20180331・都電18系統その3・S350201・志村比較

今回は比較箇所がたくさんありましたが、いかがだったでしょうか。
滝野川、板橋、志村、と3か所に分けて、それぞれ昭和29年と昭和35年と、地図を用意してみました。

まず、「滝野川」ですが、昭和29年で「御代ノ台」の電停が、昭和35年には「滝野川五丁目」に変更されていました。
続いて、「板橋」では、昭和29年で「板橋八丁目」、「板橋十丁目」、「富士見通」電停が、、昭和35年には、それぞれ、「仲宿」、「板橋本町」、「大和町」に変更されていました。
さらに、地図の郵便局の位置上から、「板橋五丁目」電停が、昭和10年に於いては「板橋郵便局」だったことがわかります。ということは、「区役所前」が「下板橋」だったということでしょうか。
最後に「志村」では、昭和29年で終点だった「志村」電停が、昭和35年には「志村坂上」に変更となり、志村橋まで伸びていることがわかります。
志村坂上からの電停の様子は、41系統の箇所で、昭和35年2月の地図を掲載する予定です。

ついでに、「板橋十丁目」。都電では一番大きな丁目数ではないでしょうか。
もっとも札幌市電には負けますがね。^±^;
札幌市電では、2018年現在で、「西15丁目」が一番大きな丁目数でしょうか。廃止されたものでは、もっと大きなのがあったのではないかと思いますが・・・。
ただ、残念ながら、「板橋十丁目」電停は、生まれているころには電停名が変更された後でした。昭和35年2月の地図を見ると、「板橋本町」になってますね。

今回は板橋区からでした。^±^ノ
 

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とでんものがたり・17系統=池袋駅前~数寄屋橋

17系統=池袋駅前~数寄屋橋=池袋駅前~文京区役所前、昭和44年(1969年)10月26日廃止・文京区役所前~数寄屋橋、昭和43年(1968年)3月31日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和44年(1969年)10月26日廃止
青色=昭和43年(1968年)3月31日廃止

池袋駅前=日ノ出町三丁目=日ノ出町二丁目=大塚坂下町=護国寺前=大塚仲町(大塚三丁目)=大塚窪町(大塚二丁目)=教育大学前=清水谷町(小日向四丁目)=竹早町(小石川四丁目)=同心町(春日二丁目)=伝通院前=富坂二丁目(富坂上)=春日町(文京区役所前)=後楽園=水道橋=三崎町=神保町=一ツ橋=錦町河岸=神田橋=鎌倉河岸=新常盤橋=日本銀行=呉服橋=八重洲口(東京駅八重洲口?)=鍛冶橋=有楽橋=数寄屋橋



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。
深緑色=撤廃路線。

大塚町(大塚仲町)=大塚窪町=大塚車庫前(文理科大学前)=清水谷町=竹早町=同心町=伝通院前=上富坂=春日町=壱岐坂下=水道橋=本郷元町=湯島五丁目(順天堂前)=御茶ノ水~甲賀町(駿河台二丁目)~駿河台下~錦町三丁目~=神田橋=竜閑橋×=常盤橋(新常盤橋)=日本銀行前=呉服橋=八重洲橋=鍛冶橋=西紺屋町(有楽橋)=数寄屋橋~山下門(銀座西六丁目)~土橋(新橋駅北口)

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。
深緑色=撤廃路線。

護国寺前=大塚仲町=大塚窪町=文理科大学前(教育大学前)=清水谷町=竹早町=同心町=伝通院前=上富坂(富坂二丁目)=春日町=壱岐坂下(後楽園)=水道橋=本郷元町(順天堂病院前)=順天堂前×=御茶ノ水~駿河台二丁目~駿河台下~錦町三丁目~錦町河岸=神田橋=鎌倉河岸=新常盤橋=日本銀行前=呉服橋=八重洲橋(八重洲口)=鍛冶橋=有楽橋=数寄屋橋~銀座西六丁目~新橋駅北口

注釈
御茶ノ水~錦町河岸、一ツ橋経由へ路線変更による、1944年(昭和19年)5月4日廃止し、神保町経由に変更。
数寄屋橋~新橋駅北口(土橋)、数寄屋橋から新橋までつながっていた、1944年(昭和19年)5月4日廃止。
1935年(昭和10年)、池袋~護国寺前まで未開通。
1923年(大正2年)12月は、池袋~大塚町間、未開通。



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

そうそう、池袋駅前にも都電が通っていたんですよね。
都電の存在は知っていましたが、子供のころ中野に住んでいたので、新宿や高田馬場と違って池袋は比較的なじみはありませんでした。
それでもたまに西武デパートに行ったりもしましたし、群馬の田舎から帰る際、赤羽線に乗って池袋を経由の電車を使ってたので、おぼろげながら、町の様子は覚えてますが・・・。
ほとんど行かなかったなあ。^±^;
池袋の東口はまだしも、西口は暗くて怖いところ、というイメージがあります。
あと、おやぢは、若いころ池袋にいたらしいです。^±^;
ズボンのポケットに手を入れて、ヨタって歩いては、巻き舌でカツアゲして街を闊歩してたらしいです。
巻き舌って・・・^±^;
てか、迷惑な話だよなあ。^±^;



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

「池袋」の比較です。

1954年(昭和29年)6月10日です。
20180331・都電17系統・S090610・池袋比較

1960年(昭和35年)2月1日です。
20180331・都電17系統・S350201・池袋比較

昭和35年の地図では、突っ込みどころ満載です。^±^
まず、池袋駅前からトロリーバスが走っていますね。その次の停留所が「池袋一丁目」なのですがね。
「池袋駅前」から「池袋一丁目」までの停留所の近さったら・・・。^±^;
おかげさまで、池袋駅前の地図の表記が「黒丸」だもの。^±^;
もちろん、現在の都バスにも「池袋一丁目」停留所はありません。当然のごとく、「池袋駅東口」の停留所の範疇(はんちゅう)です。
たとえ住居表示停留所名が変わろうとも、こんなところに停留所は作らないです。
あと、「住居表示」の奔り(はしり)なのか、「日之出町二丁目」電停付近は一部が「池袋東一丁目」になってますが、こちらは住居表示前の地名です。
「池袋東」は昭和35年から数年、新町名の範囲を広げていくのですが、さらに数年後、住居表示されると「池袋東」の一部が「東池袋」という地名に変わります。
「池袋東」でいいじゃないかと思うのですが。^±^;

もう一つ、池袋の歴史を紐解くと・・・。
巣鴨には、巣鴨町と巣鴨村があったのですが。^±^;
巣鴨駅は巣鴨町でしたが、池袋駅は「巣鴨村」でした。^±^;
巣鴨村大字池袋・・・。^±^;
のちに、西巣鴨町になりましたが。本質の巣鴨ではありません。
ニセスガモです。^±^;

・・・でも、池袋駅って、子供のころは降りたことなかったなあ。^±^;
せいぜい、赤羽線から乗り換えるだけの通過駅でした。^±^;

なお、日ノ出町三丁目、日ノ出町二丁目などの「日ノ出町」は、その以前は「雑司ケ谷旭出町」であり、その後も、「池袋東」、住居表示されても「東池袋」と、日の出る「東」と縁がある地名が引き継がれています。

~~~~~~~~~~

とでんものがたり15=大正時代の市電その⑤=震災にも負けず、めざましい復興

東京を襲った大震災は、それはそれは悲惨なものでしたが、市電の復旧は早かったといいます。
不眠不休で復旧に努めた結果、9月6日には神明町車庫~上野三橋間が復活します。
そして、翌年の1924年(大正13年)5月には全線を開通させました。
また、朝夕急行運転を開始したのもこの年、1923年(大正12年)の12月30日からです。
 

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