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とでんものがたり・39系統=早稲田~厩橋

39系統=早稲田~厩橋=昭和43年(1968年)9月29日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和43年(1968年)9月29日廃止

早稲田=早稲田車庫=関口町(関口一丁目)=鶴巻町=江戸川橋=石切橋=東五軒町=大曲=伝通院前=富坂二丁目(富坂上)=春日町(文京区役所前)=真砂町(真砂坂上)=本郷三丁目=春木町(湯島四丁目)=天神下=広小路=御徒町三丁目(御徒町駅前)=西町(東上野一丁目)=竹町(元浅草一丁目)=小島町(元浅草三丁目)=三筋町(三筋二丁目)=桂町(寿三丁目)=厩橋



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。

江戸川橋=水道町(石切橋)=東五軒町=大曲=伝通院前=上富坂=春日町=真砂町=本郷三丁目=本郷区役所前(春木町)=天神下=上野広小路=御徒町(御徒町三丁目)=西町=竹町=小島町=三筋町=桂町=厩橋

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

早稲田=早稲田車庫前=関口町=鶴巻町=江戸川橋=石切橋=東五軒町=大曲=伝通院前=上富坂(富坂二丁目)=春日町=真砂町=本郷三丁目=本郷区役所前(春木町)=天神下=上野広小路=御徒町三丁目=西町=竹町=小島町=三筋町=厩橋

注釈
1923年(大正2年)12月、東京市電は、江戸川橋が始発です。



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

以前、飯田橋に出版社に勤めていたころ、東販(東京出版販売)が東五軒町にありまして、年中、自転車で本を運んでました。
帰りに返本を積まされるのが、嫌だったこと嫌だったこと。^±^;
参考までに、地方小出版は牛込南町にあり、こちらも自転車で納本をしてました。
そして、日販(日本出版販売)は、王子の先の豊島五丁目団地のすぐそばにあり、さすがにそちらへは電車とバスを使ってました。
夕方近くに出発するので、直帰になるのがうれしくて。^±^ノ
王子駅から池袋駅へのバスに乗り継いで西武線で帰ってました。



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

1954年(昭和29年)6月10日です。地図は都電の大曲~伝通院間です。
20180331・都電39系統・S290610・大曲~伝通院

これは大曲から伝通院(でんづういん)にググっと曲がる都電でしたね。^±^
地図で文京区を見ると、やけに印象的な都電でした。おそらく「大曲」というのも、「伝通院」に向かう道と飯田橋方面に曲がる道の曲がり方が大きいから、この名前がついたと推測しますが。

こちらの都電の路線の曲線美には、惚れ惚れします。
こればかりは、地図にて、実際にお確かめください。
この曲がり具合は、まるで、盆栽の曲松(まがりまつ)をほうふつとさせます。
物心がついた時から、この場所の都電の曲線が好きでした。

まあ、いつか都電に乗ろうと思ったころには廃止になってましたが。
時すでに遅かりし。^±^;

「大曲」の電停名から。
神田川の白鳥橋付近を「大曲」といいますが、川が東から南へと大きく曲がるから、この通称名になったようです。
古くは、1658年(万治元年)までは、白鳥池という池があったようですが、そこを埋め立て、現在の神田小川町の住人が集団で移り、今の新宿区新小川町の名前がついたようです。以後、武家屋敷を中心に住宅街と発展しました。
川が曲がっているうえに、ただでさえ池を埋め立てた土地で、おまけに川沿いの地所は護岸よりも低い土地ですから、分水路が整備される以前の1990年頃までは洪水の被害にも悩まされたようです。

「富坂」は、とび職が多かったので、「鳶(とび)」が転じて「富」を充てたようです。また、春日町を谷に見立て、東西二つの坂を総合して指すこともあり、「飛坂(とびさか)」から、縁起がいいということもあったのでしょう、冨坂になったとの説もあります。

したがって、「真砂坂上(まさごさかうえ)」の「真砂坂」は「東冨坂」とも言われてます。
詳しい由来は不明です。どうも古今和歌集の歌から来ているらしいのですが。
 君が代は 限りもありじ 長浜の 真砂の数は よみつくすとも

「御徒町」は、江戸時代、江戸城や将軍の護衛を行う下級武士、つまり騎乗が許可されない武士である御徒(徒士)が多く住んでいたところから、この名前がついたそうです。

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とでんものがたり33=路面電車回想録その②=市電の大事故

東京市電の代表的な大事故です。いずれも市電時代の事故で、4つの事故以降は大きな事故は起こっていません。
1910年(明治43年)7月17日、赤坂見附にて。東京鉄道の車両が追突転覆。
1925年(大正14年)8月28日、紀の国坂にて。電車が転覆。
1928年(昭和3年)7月3日、大曲にて。ブレーキ故障した電車が下り坂を暴走し、坂の下の電車の側面に衝突。
1940年(昭和15年)7月11日、春日町交差点にて。ブレーキ故障した電車が下り坂を暴走し、坂の下の電車の側面に衝突。
 
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とでんものがたり・38系統=錦糸町車庫前~日本橋

38系統=錦糸町車庫前~日本橋=錦糸町車庫前~門前仲町、昭和47年(1972年)11月12日廃止・門前仲町~日本橋、昭和46年(1971年)3月18日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和47年(1972年)11月12日廃止
青色=昭和46年(1971年)3月18日廃止

錦糸町車庫前=錦糸堀=亀戸駅前=水神森=堅川通=大島三丁目=大島一丁目=北砂町二丁目(北砂三丁目)=北砂町一丁目(北砂二丁目)=境川=南砂町三丁目(南砂三丁目)=南砂町一丁目(第四砂町小学校)=南砂町四丁目(南砂二丁目)=東陽公園=洲崎=木場三丁目(木場五丁目)=木場一丁目(木場二丁目)=富岡町=不動尊前=門前仲町=永代二丁目=佐賀町一丁目=永代橋=新川一丁目=茅場町=日本橋



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。

門前仲町=永代二丁目(黒江町)=佐賀町一丁目(相川町)=永代橋=新川一丁目(霊岸橋)=茅場町=日本橋

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

錦糸堀~十間川×~五ノ橋通(亀戸駅前)~水神森~千葉街道口×~堅川通~大島×~小名木川×~砂町×~境川~稲荷前~豊平町~東平野町~東陽公園前~洲崎(城東電車)

洲崎=木場町三丁目=木場町一丁目=富岡町二丁目(富岡町)=不動尊前=門前仲町=永代二丁目=佐賀町一丁目=永代橋=新川一丁目=茅場町=日本橋

注釈
1935年(昭和10年)、錦糸堀から洲崎までは「城東電車」。



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

こちらも一部、城東電車でした。
一部、専用軌道もありました。何も廃止しなくてもよかった電車です。
亀戸駅から、東陽公園までは都電として残してもよかったんじゃないかと。
この路線は乗ったことはなかったですが。^±^;
江東区の親戚の家が近くを通り、亀戸から歩いたことがありましたが遠かったので、こんな電車があったら便利だったなあ、と思ってます。
本当に遠いです。^±^;



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
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「日本橋」の比較です。

1954年(昭和29年)6月10日です。
20180331・都電38系統・S290610・日本橋比較

1960年(昭和35年)2月1日です。
20180331・都電38系統・S350201・日本橋比較

この地図比較で特筆することは、東京駅の周辺の地名ですね。
昭和29年では、日本橋呉服橋、槇兆(まきちょう)だったのが、昭和35年には「八重洲」に変更してます。
なにゆえに、急にハイカラな地名に?^±^;
ご存知の通り、八重洲は、オランダ人のヤン・ヨーステン氏からつけられた名前です。
彼は、江戸時代に漂着したのちに、徳川家康の通訳となり、また国際情勢の情報を知らせたりと、手助けをし、それが為に、家康も彼に屋敷を分け与えました。
それにしても、「ヤン・ヨーステン」から「ヤエス」なんて、名前に無理があるんじゃないかと思われることでしょう。
実は、ヤン・ヨーステンは、和名で、「耶楊子(やようす)」という名前を頂戴し、そこから八重洲になったといいます。

それでも無理があるぞ!(゚Д゚)ノx±x

「砂町~」。砂町というのは、実は、江戸時代、砂村新左衛門一族が宝六島を開拓した時に開拓者の名前を取り「砂村」となったので、正しくは「砂村町」とすべきだったそうです。
南砂はそれまでは「宝六島」と呼ばれていたそうです。

「境川」は、「東京府南葛飾郡砂町大字久左衛門(新田)字境川付」の小字名から来ているものと思われます。
こちらも、もとは都電(市電)ではなく、「城東電車」でしたので、「王子電車」などと同様、町名ではなく小字名を駅名にしたものが多いと思われます。

「佐賀町」は、江戸時代は1695年(元禄8年)の検地後、この地形が肥前国佐賀湊に似ているために名付けられたので町名になったといいます。

「永代橋」、「永代二丁目」ですが、当時佐賀町付近が「永代島」と呼ばれていたからという説と、江戸幕府が末永く代々続くようにという慶賀名という説(「永代島」は「永代橋」から採られたとする)があります。永代橋が架橋されたのは1698年(元禄11年)8月といいます。古い橋です。忠臣蔵で、吉良上野介の討ち入り以降、泉岳寺に向かう道で、首を掲げ勝鬨(かちどき)をあげてこの橋を渡ったといいます。

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とでんものがたり32=路面電車回想録その①=小鉄道の買収

東京市電時代から東京都電に変わる間、電車の買収もありました(市電化、都電化)。
1938年(昭和13年)11月4日(東京市電)、渋谷駅~天現寺橋(2.5キロ)、渋谷橋~中目黒(1.4キロ)、以上、東急東横線より
1942年(昭和17年)2月1日(東京都電)、三ノ輪橋~早稲田(12.3キロ)、王子駅~赤羽(4.1キロ)、以上、王子電車より
1942年(昭和17年)2月1日(東京都電)、錦糸町~西荒川(3.6キロ)、水神森~洲崎(4.5キロ)、東荒川~今井(3.2キロ)、城東電車より
1951年(昭和26年)4月5日(東京都電)、新宿~荻窪(7.5キロ)、西武電車(杉並線)より
 

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とでんものがたり・37系統=三田~駒込千駄木町(千駄木二丁目)

37系統=三田~駒込千駄木町(千駄木二丁目)=昭和42年(1967年)12月10日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和42年(1967年)12月10日廃止

三田=芝園橋=芝公園=御成門=田村町四丁目(西新橋三丁目)=田村町一丁目(西新橋一丁目)=内幸町=日比谷(日比谷公園)=馬場先門=和田倉門=大手町=神田橋=美土代町=小川町=淡路町=松住町(外神田二丁目)=旅篭町(外神田三丁目)=末広町(外神田五丁目)=黒門町(上野一丁目)=上野広小路=上野公園=動物園前=七軒町(池之端七軒町→池之端二丁目)=宮永町(根津一丁目)=八重垣町(根津二丁目)=千駄木町(千駄木二丁目)



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

三田=四国町×=芝園橋=増上寺前(芝公園)=御成門=田村町四丁目(西新橋三丁目)=田村町(田村町一丁目)=内幸町=日比谷(日比谷公園→日比谷)=馬場先門=和田倉門=大手町=神田橋=美土代町=小川町=淡路町=松住町=旅篭町=末広町=黒門町=上野広小路=上野公園=上野動物園下(動物園前)=池之端七軒町(七軒町、後に池之端七軒町、復活)=逢初橋(宮永町)=根津八重垣町(八重垣町)=駒込千駄木町(千駄木町)



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

うーん、この路線は全く知りませんでした。^±^;
三田から大手町を通り、外神田、上野公園、と経由し、千駄木へ。
堂々と東京の真ん中を通ってはいるのですが、なんとなくマイナーな路線で。
・・・何に例えよう。^±^;
ドリフターズみたいなんだけど、荒井注さん、みたいな・・・。^±^;
早々と消えちゃってるし。^±^;

ナンダバカヤロウ!(゚Д゚)ノ。x±x。



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

「芝公園周辺」の比較です。

1954年(昭和29年)6月10日です。
20180331・都電37系統・S290610・芝公園比較

1960年(昭和35年)2月1日です。
20180331・都電37系統・S350201・芝公園比較タワー有

昭和35年の地図を見れば、東京タワーが出来てますね。^±^ノ
また、この辺りは大使館が多いので、どこの大使館が出来たとか、そんな国レベルの関係と当時の時代背景を吟味しつつ、地図上にてお楽しみください。

これぞ、地図の味わい深さですね。^±^ノ

「三田」の由来から。
こちらは目黒区三田とも所縁(ゆかり)があります。どちらも同じ「三田郷」を起源とする荏原郡三田村の飛び地だったそうです。
この地に朝廷に献上する米を作る屯田(みた)が存在したからとも、伊勢神宮または御田八幡神社の神田(みた)があったからともいわれてます。

「美土代町」。地名の由来は神社の領田ですが、「神田」と「美土代」とは同じ意味を指してます。
つまり、「神田神田町」って、いうことでしょうか。^±^ノφ ウズウズ
♪カンダカンダ~、カンダカンンダカンダ~・・・φ^±^ノ
「ブルーハーツ」か!(゚Д゚)ノx±xノφ
それは「リンダリンダ」だろうがっ!(゚Д゚)ノx±x。ノφ・・・ドブネズミみたいに美しくなりたい

「黒門町」。寛永寺総門の通称を「黒門」というところから、町名になりました。落語家の8代目桂文楽が西黒門町に居を構えていたために、「黒門町」という愛称で呼ばれてました。

~~~~~~~~~~

「とでんものがたり・番外編3」=都電全盛期の環境

都電全盛期のころ、昭和30年代から40年代初め(1060年代)ですが、乗客は1日平均160万人。
その半分近くが勤労者や学生といいます。
庶民の都電の不満はノロノロ運転で、制限速度が35キロだったそうです。平均速度は12.88キロ。
本当はカミナリ運転をすれば50~60キロは軽く出せたというのに。
「カミナリ運転」って・・・^±^;
 

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とでんものがたり・36系統=錦糸町駅前~築地

36系統=錦糸町駅前~築地=昭和46年(1971年)3月18日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和46年(1971年)3月18日廃止

錦糸町駅前=錦糸堀=毛利町=住吉町二丁目=住吉町一丁目=菊川二丁目=菊川一丁目=森下町=新大橋=浜町二丁目=浜町中ノ橋=水天宮前=蛎殻町=茅場町=西八丁堀(西八丁堀二丁目)=桜橋=新富町=築地二丁目=築地



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。

菊川橋=徳右衛門町(菊川二丁目)=富川町(菊川一丁目)=森下町=安宅町×=新大橋=中ノ橋(浜町中ノ橋)=水天宮前=蛎殻町=茅場町=北島町(西八丁堀一丁目)=八丁堀(西八丁堀三丁目)=桜橋=新富町=築地橋(築地二丁目)=本願寺前(築地)

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

錦糸町駅前=錦糸堀=毛利町=住吉町二丁目=住吉町一丁目=菊川橋×=菊川二丁目=菊川一丁目=森下町=新大橋=浜町二丁目=浜町中ノ橋=水天宮前=蛎殻町=茅場町=西八丁堀一丁目×=西八丁堀三丁目×=桜橋=新富町=築地二丁目=築地



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

錦糸町は都電の宝庫でした、最盛期には、6路線も乗り入れてました。
南に5路線、北に1路線。
しかも錦糸町駅前には都電の電停が入り組んであり、京葉道路を渡ると次の電停だったり、駅のロータリーの西と東はもう違う電停だったり、そんなに駅を造らなくてもいいじゃん、と思いました。

まあ、錦糸町は都電の為にある駅でしたね。^±^;



とでんものがたり。^±^ノ

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錦糸町の地図です。

1969年(昭和44年)7月、錦糸町周辺です。
20180331・都電16系統・S440700・錦糸町比較

その拡大図です。
20180331・都電36系統・S4407・錦糸町駅前拡大

余話でも書きましたが、もう一度強調します。^±^;
錦糸町、都電の巣窟です。^±^;・・・「そうくつ」って
この通り、「錦糸町駅前」から、京葉道路を渡ると「錦糸堀」の電停だったり。
京葉道路を通る都電も、「錦糸堀」からちょっと行くと「車庫前(錦糸堀車庫前)」だったり。
それよりも、駅の北口にある「錦糸町駅前」電停のほうが遠かったり。
拡大図で見ても、こんなに駅を作って、とあきれるほどです。
ああ、税金の無駄遣い・・・。^±^;
ああ、あきれるなあ。^±^;

こんなブログを延々と書くほうがあきれるわ!(゚Д゚)ノx±x
よく飽きないなっ、お前はよっ!(゚Д゚)ノx±x。
お前のブログのほうが税金の無駄遣いだぞ!(゚Д゚)ノ。x±x。

というわけで反省して、電停の駅名の由来について。^±^;

錦糸町の次の「毛利町」です。
毛利藤左衛門により毛利新田が開発され、この地名が付きました。毛利氏は今の千代田区隼町に住んでいました。毛利町の南には猿江町がありますが、こちらは、もっと歴史が深く、1058年頃(康平)に「源義家臣猿藤太」と書かれた鎧を着た武士の遺体がこの地に流れ着き、住民たちが祠を建て手厚く弔ったという伝説があります。
でも、どざえもんが発祥って・・・^±^;

「菊川〇丁目」の「菊川」は川の名前ですね。町の西側を流れてました。江戸時代初期は「本所南横堀」と呼ばれて、もと紅葉山御掃除之者の拝領町屋敷でした。1683年(天和3年)青山に代地を与えられて「青山六軒町」となった末に、1696年(元禄9年)町屋として、「菊川町」の名前が初めてつきました。後に遠山景元の下屋敷となります。

「森下町」は、江戸初期に深い森があったのでこの地名が付けられたといいます。

「蠣殻町」は、東京穀物商品取引所があった場所ですが、由来は、昔は漁師の小網の干し場であり、牡蠣の殻の堆積した海浜だったから、と言われていますがはっきりとはされてないようです。

~~~~~~~~~~

とでんものがたり31=都電になってその⑨=それでも都電は生きている

こうして、1972年(昭和47年)には1つの路線(正確には2路線をひとつにしたのですが)を除いて全部廃止されてしまいました。
都電荒川線は、そんな、大活躍したのにお払い箱でどんどん隅に追いやられていった他系統の都電たちの心を一手に引き受け、今も走っています。
この路線は、東京都区内の西から東へと結ぶ、或いは、東から西へと結ぶ貴重な生活路線です。
車内には山の手と下町とのコミュニケーションにあふれ、今日も、元気に走り続けています。
 

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とでんものがたり・35系統=巣鴨車庫前~田村町一丁目(西新橋一丁目)

35系統=巣鴨車庫前~田村町一丁目(西新橋一丁目)=昭和43年(1968年)2月25日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和43年(1968年)2月25日廃止

巣鴨車庫=巣鴨駅=西丸町(本駒込六丁目)=駕篭町「かごまち」(千石一丁目)=北部原町(本駒込二丁目)=南部原町(白山五丁目)=曙町(東洋大学前)=白山上=指ヶ谷町(白山下)=八千代町(白山一丁目)=小石川柳町(西片一丁目)=初音町(小石川一丁目)=春日町(文京区役所前)=後楽園前=水道橋=三崎町=神保町=一ツ橋=錦町河岸=神田橋=大手町=和田倉門=馬場先門=日比谷(日比谷公園)=内幸町=田村町一丁目(西新橋一丁目)



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。

巣鴨車庫前=巣鴨橋=西丸町=駕篭町「かごまち」=原町(小石川原町)=曙町=白山(白山上)=指ヶ谷町=掃除町(八千代町)=柳町=春日町=壱岐坂下=水道橋=三崎町=神保町=(=駿河台下=小川町=美土代町=)=神田橋=大手町=和田倉門=馬場先門=日比谷=内幸町=桜田本郷町(田村町)

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

巣鴨二丁目(巣鴨車庫前)=巣鴨橋(巣鴨駅)=西丸町=駕篭町「かごまち」=小石川原町×=曙町=白山上=指ヶ谷町=八千代町=柳町(小石川柳町)=餌差町(初音町)=春日町=壱岐坂下(後楽園前)=水道橋=三崎町=神保町=一ツ橋=錦町河岸=神田橋=大手町=和田倉門=馬場先門=日比谷=内幸町=田村町(田村町一丁目)



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

後楽園の真ん前を走ってた都電の一つですね。^±^ノ
後楽園は、父が晩年まで、「似顔絵コーナー」で似顔を描いてました。
なお、おやじは、儲けても、家に入れるのは1割です。^±^;
9割は酒で消えてしまいます。^±^;

おやじは、毎度毎度、池袋でベロベロになるまで飲んでました。
本人は、その酒のことを、自称「頭の痛くなる酒」と言ってましたが・・・。
頭が痛くなるなら飲まなければいいのに・・・。^±^;
こうなったら、玄関に塩まいとけよっ!(゚Д゚)ノx±x
我が家に少しは稼ぎを戻してほしくても。^±^;
頭が痛くなって、戻すのはいつも吐瀉物だけです。^±^;
もう、玄関におがくずをまいとけよっ!(゚Д゚)ノx±x。



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

1954年(昭和29年)6月10日です。巣鴨周辺の地図です。
20180331・都電35系統・S290610・巣鴨

白山通りを通る都電ですね。
昭和43年の廃止ですから、1968年。こちらは比較的早い廃止でした。
大規模な廃止計画の間の最初の廃止対象は、品川・五反田・目黒周辺と、銀座通りの新橋から日本橋にかけてであったようですね。
にぎやかな繁華街でも「東海道」に沿った場所から廃止になっていったようです。
同じ繁華街といっても、渋谷や池袋あたりは1969年(昭和44年)、新宿あたりに至っては1970年(昭和45年)まで残っていましたからね。
錦糸町はもっと晩年まで残ってました。^±^;

巣鴨と駒込の地図です。昭和29年版です。
「駒込駅前」と「駒込橋」電停、「巣鴨駅前」と「巣鴨車庫前」電停、どちらも近すぎます。
駅の周辺の都電の電停って、距離が近いところが多いですね。
なにゆえに、こんなに軟弱になるんだろう。^±^;
まあ、その最たるが、錦糸町ですがね。^±^;

特に駒込よりも巣鴨ですわ。^±^;
巣鴨駅前電停よりも、巣鴨車庫前電停のほうが駅に近いなんて。^±^;



「和田倉門」と「馬場先門」。
「和田倉門」ですが、近くの蔵があったのでこの名前がついたことに由来します。慶長の頃までは「蔵の御門」とも呼ばれていました。「馬場先門」のほうは、門内の馬場で朝鮮使節の曲馬を上覧したことから、朝鮮馬場の名が生まれ、馬場先の名前が付けられたそうです。
和田倉門橋、馬場先門橋、どちらも内濠(うちぼり)に架かる橋があります。

「錦町河岸」ですが、「錦」は昔近くに一色という武家屋敷が二軒あったので、二色→錦と転化したのだそうです。
一色が二軒で二色=錦(にしき)かよ。^±^;・・・ダジャレにもほどがあるなあ
きれいだとか、そういう意味じゃないのかよ。^±^;・・・ひどいなあ

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とでんものがたり30=都電になってその⑧=廃止に追い込まれる都電・4

第一次廃止=1967年(昭和42年)12月10日。
第二次廃止=1968年(昭和43年)3月31日、2月25日にも廃止あり。
第三次廃止=1968年(昭和43年)9月29日。
第四次廃止=1969年(昭和44年)10月25日。
第五次廃止=1970年(昭和45年)3月27日。
第六次廃止=1971年(昭和46年)3月18日。
第七次廃止=1972年(昭和47年)11月12日。
 

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とでんものがたり・34系統=渋谷駅前~金杉橋

34系統=渋谷駅前~金杉橋=昭和44年(1969年)10月26日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和44年(1969年)10月26日廃止

渋谷駅前=並木橋=中通二丁目(東二丁目)=渋谷橋=下通二丁目(広尾一丁目)=天現寺橋=光林寺前=四ノ橋=古川橋=三ノ橋=二ノ橋=一ノ橋(麻布十番)=中ノ橋(麻布中ノ橋)=赤羽橋=芝園橋=金杉橋



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

渋谷~稲荷橋×~並木橋~渋谷区役所前×~比丘橋×~渋谷橋~恵比寿橋~新橋~豊沢橋~天現寺橋(玉川電気鉄道)

天現寺橋=光林寺前=四ノ橋=古川橋=三ノ橋=二ノ橋=一ノ橋=麻布中ノ橋=赤羽橋=芝園橋=金杉橋



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

本当にどうでもいいんですが。^±^;

こちら、昔は、一ノ橋から四ノ橋まで、ほぼ連続で電停があったんですよ。
ところが。
「一ノ橋」電停が「麻布十番」に変更して、せっかくの風情も台無し。
もっとも、全部、廃止しちゃいましたがね。^±^;
♪廃止どうどう、はいどうどう、廃止どうどう、はいどうどう・・・φ^±^ノ
マサカリ担いだ金太郎かよっ、お前はよっ!(゚Д゚)ノx±xノφ



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

「一ノ橋~四ノ橋」の比較です。

1960年(昭和35年)2月1日です(地図の位置に注意)。右が北に当たります。
20180331・都電34系統・S350201・一ノ橋~四ノ橋

1969年(昭和44年)7月の地図です(地図の位置に注意)。真上が北です。
20180331・都電34系統・S440700・一ノ橋~四ノ橋・新

この路線、電停に、「橋」とつく名前が多すぎます。^±^;
それだけでもひどいのに、一ノ橋から四ノ橋まで、ご丁寧に全部ありました。
本当にご丁寧なこったなっ!(゚Д゚)ノx±x。
先ほどの「どうでもいい余話」の話を、地図で証明しますね。
ちょっとそれぞれの地図の位置関係が違うので、わかりにくいかもしれませんが。
昭和35年から、かなり長い間、一ノ橋、二ノ橋、三ノ橋、四ノ橋の電停が存在してました。
ところが、昭和44年7月、「一ノ橋」電停は「麻布十番」となり、途端にしらけました。
白けちゃったなあ・・・。^±^;

うーん、残念というか・・・。^±^;・・・ナンダカナア

「天現寺橋」。「てんげんじばし」と読みますが、近くに多聞山天現寺があります。
天現寺は、もともとは小日向御簞笥町にあった臨済宗大徳寺(末の普明寺)を引継ぎ、1719年(享保4年)、現在地に移築して多聞山天現寺と改め、現在に至ります。本尊として毘沙門天の像を祀っています。

「渋谷駅前」電停について。
そもそもの「渋谷」の由来ですが、これは渋谷川の流れの色が渋色、すなわち赤茶色であるところから名前がついたという説のほか、相模国の渋谷氏一族がこちらに住み着いたという説もあります。なお、小田急線に高座渋谷駅がありますが、この渋谷氏一族と関連しているものと思われます。ほかに、「塩谷(しおや)」が「渋谷(しぶや)」に転じたという説もあります。

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とでんものがたり29=都電になってその⑦=廃止に追い込まれる都電・3

1967年(昭和42年)、銀座の街から都電が消えました。
鉄道馬車以来、80余年、馬車から鉄道に変わり、その後、東鉄、市電、都電として、庶民を乗せて頑張り続けてきました。
廃止の日、銀座通りは惜別の念で人々が大通りに溢れ返り、廃止決定日である10日の午前0時を過ぎても人込みは消えなかったという話です。
「長い間御苦労さまでした」、横断幕を掲げて勇退した都電に栄光あれ、と・・・。
 

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とでんものがたり・33系統=四谷三丁目~浜松町一丁目

33系統=四谷三丁目~浜松町一丁目=昭和44年(1969年)10月26日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和44年(1969年)10月26日廃止

四谷三丁目=左門町=信濃町=権田原=青山一丁目(北青山一丁目)=新坂町(赤坂八丁目)=竜土町(六本木七丁目)=六本木=三河台町(六本木五丁目)=飯倉片町=飯倉一丁目=神谷町=御成門=浜松町一丁目



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。

青山一丁目=乃木坂=一連隊前(竜土町)=六本木=三河台町=飯倉片町=狸穴町=飯倉一丁目=神谷町=広町×=御成門

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

塩町(四谷三丁目)=左門町=信濃町=権田原=青山一丁目=新坂町=乃木坂=一連隊前(竜土町)=六本木=三河台町=飯倉片町=狸穴町「まみあなちょう」×=飯倉一丁目=神谷町=広町×=御成門=浜松町一丁目

注釈
1923年(大正2年)12月の東京市電では、地図によると、「青山一丁目」は御成門方面からの終点扱い。また、御成門から宇田川橋(浜松町一丁目)間は未開通。



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

四谷三丁目が起点で浜松町一丁目が終点。
・・・うーん、中途半端な。^±^;・・・機転が利かないなあ
国鉄(当時:JR)でつながるところって、信濃町しかないし。
どうせなら、新宿まで行けばいいのに。^±^;
その都電終点の新宿も中途半端だぞ!(゚Д゚)ノx±x
新宿駅前でなく、伊勢丹のほうなんだぞ!(゚Д゚)ノx±x。



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

1954年(昭和29年)6月10日です。青山、赤坂の地図です。
20180331・都電33系統・S290610・青山(赤坂)

青山一丁目から南にややくねる都電の路線の曲線美、こればかりは、地図で確認していただかないと。
というわけで、地図を入れた次第です。^±^;
「青山一丁目」から「新坂町」に行くところの路線ですね。^±^ノ
都電の地図を見ていて、時折、そんな「曲線美」に惚れこむことがあります。
が、残念ながら、こちらは2番目です。
一番好きな曲線美は、39系統で出てきますので、お楽しみに。

楽しかねえよっ!(゚Д゚)ノx±x。

「権田原」は、権田原坂にちなむものと思われます。
この坂は、またの名を「安珍坂」と呼ばれますが、正式には安鎮坂(あんちんざか)といわれ、かつて坂の前にあった安藤左兵ヱの屋敷内に安鎮大権現の社があったことに由来します。
なお、別名の権田坂は、付近に屋敷のあった権田氏、あるいは権田原僧都の碑が所縁があるとされ、幕府の代官・権田隼人の屋敷であるという説、権田丈之助、権田小三郎とその組下の組屋敷だった説など、さまざまです。

「四谷三丁目」の次の「左門町」電停ですが、こちらは四谷怪談のお岩さんで有名です。
「お岩」を祀った於岩稲荷が存在しますが、実際のお岩さんは心優しかったといいます。大変仲睦まじい夫婦であり、良く働き家庭を支え続けた健気な女性だったらしいです。
元塩冶藩士、四谷左門の娘・岩は夫である伊右衛門の不行状を理由に実家に連れ戻され、伊右衛門は左門に岩との復縁を迫るのですが、過去の悪事(公金横領)を指摘され、辻斬りの仕業に見せかけ左門を殺してしまいます。さらに、同じ場所にて、岩の妹の袖に横恋慕していた薬売り・直助は、袖の夫・佐藤与茂七(実は入れ替った別人)を殺害していました。
ちょうどそこへ岩と袖がやってきて、左門と与茂七の死体を見つけ、嘆く2人に伊右衛門と直助は仇を討ってやると言いくるめ、伊右衛門と岩は復縁し、直助と袖は同居します。
田宮家に戻った岩は産後の肥立ちが悪く、病がちになったため、伊右衛門は岩を厭うようになります。また、高師直の家臣伊藤喜兵衛の孫・梅は伊右衛門に恋をし、喜兵衛も伊右衛門を婿にしたいと思うようになりました。
そこで、高家への仕官を条件に承諾した伊右衛門は、按摩の宅悦を脅して岩と不義密通をはたらかせ、それを口実に離縁しようと画策します。
喜兵衛から贈られた薬のために容貌が崩れた岩を見て脅えた宅悦は伊右衛門の計画を暴露すると、岩は悶え苦しみ、置いてあった刀が首に刺さって亡くなります。伊右衛門は家宝の薬を盗んだとがで捕らえていた小仏小平を惨殺し、伊右衛門の手下は岩と小平の死体を戸板にくくりつけ、川に流します。
伊右衛門は伊藤家の婿に入りますが、婚礼の晩に幽霊を見て錯乱し、梅と喜兵衛を殺害、逃亡します。
袖は宅悦に姉の死を知らされ、仇討ちを条件に直助に身を許しますが、そこへ死んだはずの与茂七が帰って来ます。
不貞を働いた袖はあえて与茂七、直助二人の手にかかり殺害されますが、袖の最後の言葉から、直助は袖が実の妹だったことを知り、自害します。
蛇山の庵室で伊右衛門は岩の幽霊と鼠に苦しめられて狂乱し、そこへ真相を知った与茂七が来て、舅と義姉の敵である伊右衛門を討ちます。

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とでんものがたり28=都電になってその⑥=廃止に追い込まれる都電・2

1957年(昭和32年)頃になると、ますます車社会になって行き、東京も大渋滞になります。
自動車は、時に都電の線路上を走り、行く手を遮って、到着時間を大幅に遅らせます。クラクションが鳴り響き、殺伐として、都電を邪魔者扱いにして。
特に1964年(昭和39年)の東京オリンピックに向けて、あちこちで高速道路や地下鉄の工事を開始し、都電の行く末をますます暗くさせます。
それにより、都電はとうとう1967年(昭和42年)から順次、廃止されていきます。
 

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とでんものがたり・32系統=荒川車庫前~早稲田

32系統=荒川車庫前~早稲田=「都電荒川線」として現存

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

黒色=現存

荒川車庫前=梶原=栄町=王子駅前=飛鳥山=滝野川一丁目=西ヶ原四丁目=新庚申塚=庚申塚=巣鴨新田=大塚駅前=向原=日ノ出町二丁目(東池袋四丁目)=雑司ヶ谷(都電雑司ヶ谷)=鬼子母神前=学習院(学習院下)=面影橋=早稲田



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期、「王子電車」(現存、駅名等は変更)。
鶯色文字色1935年(昭和10年)、東京市電末期、「王子電車」で27系統(赤羽~三ノ輪橋)に該当する部分。

(王子電車)

船方前(荒川車庫前)~梶原~飛鳥山下(栄町)~王子~飛鳥山~滝野川(西ヶ原四丁目)~板橋新道(新庚申塚)※~庚申塚~巣鴨新田~大塚~向原~水久保(日ノ出町二丁目)~雑司ヶ谷~鬼子母神前~学習院下~面影橋~早稲田

注釈
王子電車です。都電で、現存しているのはこの路線だけ。
しかし、町と町とをつなぐ、重要路線だと思います。
※=現在の新庚申塚、当時の市電乗換駅は「庚申塚」。


都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;
 
現存する都電です。ほとんど専用の軌道を走っています。
都電はあると便利ですね。^±^ノ
通称、「東京さくらトラム」とも呼ばれています。
大昔は、王電、王子電車とも呼ばれていたんですよね。
専用の軌道があるのも、これの名残かもしれません。

この電車には、思い出があるんだよなあ。^±^;
子供のころ、小学校低学年だったと思いますが、父が描く漫画の出版社に訪問し、その帰り、一人で帰ったんですが。
せっかくだから王子から都電に乗って帰ろう、と思って改札を出ると、財布がない・・・。
焦りました。^±^;
一文無しだし、どうしようか、と思って交番に行きました。
王子駅前の交番です。^±^;
親に連絡してもらって、都電に乗って帰ったんですが、あの時くらい不安な日はなかったですね。
帰るころにはもう夜中だったし。^±^;
でも、王子駅前の派出所のおまわりさん、親切だったんだよね。^±^ノ
母が煙草をお礼に、と渡そうとしたんですが、「当たり前のことをしたし、受け取れません」と、にこにこしながら、「お気持ちだけ、ありがたく受け取ります」と。
ああ、本当に優しくていい人だった・・・。^±^;

こんな、思いやりのあふれる街・・・。
都電とともに残してほしい。
これからも。^±^ノ



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

1954年(昭和29年)6月10日です。大塚周辺地図です。
20180331・都電32系統・S290610・大塚周辺

昭和9年の鉄道地図です。
20180331・都電32系統・王子電車・早稲田

赤羽周辺はこちら。^±^ノ

地図は王電時代のですが、27系統の赤羽線でも話した通り、王子電車の名残か、都電らしからぬ電停名が多いんですよね。
前回は「梶原」、「船方」のお話をしましたね。
今回は、「庚申塚」、「巣鴨新田」、「向原」です。
「庚申塚」ですが、こちらは、猿田彦大神という神社(猿田彦大神庚申堂)があり、庚申信仰に基づくものが由来しているようです。また、地名が、「巣鴨村(のちに西巣鴨町、以下同)大字巣鴨字庚申塚」でした。
「巣鴨新田」は、「巣鴨村大字巣鴨字新田」。そして、「向原」は、「巣鴨村大字池袋字向原」でした。

どちらも、小字ながら、れっきとした地名でした。^±^;

さらに、「面影橋」です。
面影橋は、太田道灌の逸話にある山吹の里の地といわれ、江戸時代~明治時代までは名所だったようです。

 七重八重 花は咲けども 山吹の 実の(蓑)ひとつだに なきぞ悲しき

太田道灌のこの歌はあまりにも有名ですが、山吹の里はこちらだったという説が強いですね。
現在では、埼玉県越生町にも「山吹の里」に関する公園がありますが、いくらなんでも遠すぎますし。
面影橋付近には「山吹町」があります。おそらく山吹の里の由来であるような気がしますが。
なお、面影橋は、古くは「俤(おもかげ)の橋」といわれていたようで、「姿見の橋」と相対して、諸説あるようで、面影橋と姿見橋は同じ橋で別称だった説、いや、面影橋の近くに小川が別にあり、そこに架かったのが姿見橋だという説、さまざまです。

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とでんものがたり27=都電になってその⑤=廃止に追い込まれる都電・1

それでも、1950年(昭和25年)以降、町も急速に回復を遂げて、以降、自動車の増加が目覚ましく発展していきます。
1952年(昭和27年)5月20日にトロリーバスが走り出すと、代わりに26番系統の東荒川~今井の都電が姿を消し、それを皮切りに次々と消えていきます。
しかし、そのトロリーバスも寿命は長くなく、1968年(昭和43年)には全廃してしまいます。わずか16年の短命な末路でした。
また、都電廃止の際の代替の路線バスでさえも、現今では大部分が廃止されてるのが、現状です。
 

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とでんものがたり・31系統=三ノ輪橋~都庁前

31系統=三ノ輪橋~都庁前=三ノ輪橋~丸ノ内北口、昭和44年(1969年)10月26日廃止・丸ノ内北口~都庁前、昭和44年(1969年)3月27日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和44年(1969年)10月26日廃止
青色=昭和44年(1969年)3月27日廃止

三ノ輪橋=三ノ輪車庫=竜泉寺町(竜泉三丁目)=千束町(千束二丁目)=入谷町(入谷二丁目)=合羽橋=菊屋橋=三筋町(三筋二丁目)=蔵前一丁目=浅草橋駅前=浅草橋=馬喰町=小伝馬町=本町三丁目=室町三丁目=新常盤橋=丸ノ内一丁目=丸ノ内北口=丸ノ内南口=都庁前



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。
深緑色=撤廃路線

三ノ輪橋=三ノ輪車庫=竜泉寺町=千束町=入谷町=合羽橋=菊屋橋=三筋町=老松町×=蔵前一丁目=浅草橋二丁目×=浅草橋駅前=浅草橋=馬喰町=小伝馬町=本町三丁目=室町三丁目=新常盤橋=丸ノ内一丁目=降車口前(丸ノ内北口)=乗車口前(丸ノ内南口)=市役所前(都庁前)~東京駅引込線~乗車口前(丸ノ内南口)※

注釈
東京駅乗車口~市役所前(都庁前)・・・三菱銀行
三菱銀行方面に伸びる路線があった、1944年(昭和19年)5月4日廃止。
※東京駅引込線は、乗客が乗れるかどうかは不明。



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

28系統の錦糸堀から都庁まで行ってた都電と同様、東京駅周辺で細かく廃止されていたようです。
この話は28系統の時にしたゆえ、蒸し返すと諄い(くどい)うえに、推測ながら半ば強引に自己解決させましたので、当然のごとく割愛して、今回は東京駅の歴史についてのお話です。

かつての東京駅丸の内口の都電の電停は、「乗車口」と「降車口」だったのですね。
「乗車口」が「丸ノ内南口」で、「降車口」が「丸ノ内北口」なんですよね。

そこで素朴な疑問・・・。^±^;
都電の「降車口」からでも乗車できたのだろうか。

謎だ・・・。^±^;



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

「東京駅」の比較です。

1954年(昭和29年)6月10日です。
20180331・都電31系統・S290610・東京駅

1960年(昭和35年)2月1日です。
20180331・都電31系統・S350201・東京駅

「丸ノ内口」の話は「どうでもいい余話」で致しましたが、さらに気づいたこと・・・。

東京駅の丸の内口の反対側は、「八重洲口」でなく、「東京駅東口」という電停名だったのですね。
また、よく見ると、「通三丁目」電停は、昭和29年は「八重洲通」電停だったのですね。
とすると、「通三丁目」の「通」ってのは、地名の「日本橋通」と、前停留所名の「八重洲通」との「掛詞(かけことば)」によってつけられた停留所名なのかなあ。

見れば見るほど、地図って不思議で面白いですよね。^±^ノ

「千束」は、稲千束分を浅草寺に納めたことに因みます。
大田区にも洗足池付近に、北千束、南千束がありますが、こちらは「千束分の稲が収穫できる土地」というのが由来のようです。

「合羽橋」は、湿地帯であるこの土地の住民達のために私財を費やして整備を行った合羽屋喜八の良心に心を打たれた河童達が、夜ごとに工事をして喜八を助けたという言い伝えと、金竜小学校跡地付近に、その昔、伊予新谷の城主の下屋敷があり、小身の侍や足軽が内職で作った雨合羽を、天気の良い日に近くの橋にズラリと干していたという言い伝えがあります。

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とでんものがたり26=都電になってその④=戦後のどさくさと都電・2

さて、戦後、都電の運賃はみるみるうちに値上げされました。終戦後、10銭だった運賃が、4年後には80倍の8円、という超インフレぶりです。
特に、1947年(昭和22年)には、1年間に3回も都電の運賃が値上げされたといいます。
子供のころ、よく、じいちゃんから、「軍票があっという間に紙くず同然になった」という話を聞いたものですが、納得せざるを得ませんね。
しかし、物価は、都電はまだ値上げしてないほうで、世の中はそれ以上にインフレだったという話を聞きます。
 

テーマ : 鉄道
ジャンル : 趣味・実用

とでんものがたり・30系統=寺島町二丁目(東向島三丁目)~須田町

30系統=寺島町二丁目(東向島三丁目)~須田町=昭和44年(1969年)10月26日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。
5.×は、既に廃止されている電停名です。
「吾妻橋二丁目」と「吾妻橋一丁目」が合併して「本所吾妻橋」電停となりました。

赤色=昭和44年(1969年)10月26日廃止

寺島町二丁目(東向島三丁目)=寺島町一丁目(東向島一丁目)=向島須崎町(向島五丁目)=向島三丁目(向島二丁目)=言問橋=吾妻橋二丁目×=【本所吾妻橋】=吾妻橋一丁目×=浅草=雷門=田原町(浅草一丁目)=菊屋橋=清島町(松ケ谷一丁目)=稲荷町(下谷神社前)=上野駅前=上野駅南口=上野公園=広小路(上野広小路)=黒門町(上野一丁目)=末広町(外神田五丁目)=旅籠町(外神田三丁目)=万世橋=須田町

臨時29系統=寺島町二丁目~日本橋
桃色=臨時系統、朝夕運行。廃止時期不明

寺島町二丁目(東向島三丁目)=寺島町一丁目(東向島一丁目)=向島須崎町(向島五丁目)=向島三丁目(向島二丁目)=言問橋=吾妻橋二丁目×=【本所吾妻橋】=吾妻橋一丁目×=駒形橋=厩橋一丁目(本所一丁目)=石原町一丁目(石原一丁目)=墨田区役所=東両国緑町(緑一丁目)=千歳町(千歳三丁目)=森下町=高橋=清澄町=江東区役所=平野町=深川二丁目=深川一丁目=門前仲町=越中島=新佃島=月島通三丁目(月島三丁目)=月島通八丁目(月島)



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

向島(向島須崎町)=向島三丁目×=向島二丁目×=言問橋=吾妻橋二丁目=吾妻橋一丁目=吾妻橋東×=吾妻橋西(浅草)=雷門=田原町=菊屋橋=清島町=稲荷町=上野駅前=上野駅南口=京成電車前(←京成上野駅?)×=上野公園前=上野広小路=黒門町=末広町=旅籠町=万世橋=須田町



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

寺島町は昔、「赤線」と言われた町です。
浅草の吉原とともに、栄えたのでしょう。それに伴い、都電も繁盛だったに違いありません。
今は昔、栄枯盛衰ですがね。^±^;
まだ生まれてなかったくせに!(゚Д゚)ノx±x



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

1960年(昭和35年)2月1日の地図です。途中の、稲荷町~田原町あたりです。
20180331・都電30系統・S350201・稲荷町~田原町

浅草も、さぞかしにぎやかだったでしょうね。
ちょっと北に行けば、吉の原、ですよね。^±^ノ
向島は、通称「鳩の町」と呼ばれてただけに、浅草から向島まで、この都電に乗って、ポッポ、ポッポと・・・。
うーん、飛び回る人も、いたんじゃないかねえ・・・。^±^;
梅が咲くので、遊びすぎに注意だぞ!(゚Д゚)ノx±x

続いて、昭和9年の鉄道地図です。
20180331・都電30系統・京成電車

寺島町二丁目だけでなく、向島あたりは、京成電車も出ていたのでした。
おそらく、赤線がえらく繁盛するので、東武電車の玉ノ井にだけ「いい思い」をさせまいぞ、とばかりに、無理やり京成線が電車を走らせたんじゃないかと勝手に推測・・・。

向島~長浦~玉ノ井~白髭(しらひげ)

短い路線だけど、これも「都電」のような電車だったのかねえ。^±^;
それは詳しくはわからないけど、少なくても、わかっていることがひとつありますぞ。
間違いなく、赤線専用の路線だよね~。^±^;
あと、曳舟で連絡しているのでなく、隣の「請地(うけじ)」で京成線と東武線が連絡を取り合ってるよね。

昔の鉄道地図も、突っ込みどころ満載だよね。^±^;

さてと、最後に、都電の電停の話をひとつ。
「言問橋」。こちらは、在原業平の歌にちなみます。
 名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと

ところが実際は、この歌を詠んだのは白髭橋付近の「橋場の渡し」であったらしく、だいぶ位置がずれていますね。
真説としては、1871年(明治4年)の創業でこの地に現在もある「言問団子(店名)」の主人が、隅田川にちなむ在原業平をもちだして団子を売り出したことが本当の由来のようです。
その団子は「言問団子」と名づけ、たちまちにして人気の店となったのですが、同時に、この辺りが俗に「言問ケ岡」と呼ばれるようになり、それにあわせて業平を祀ったことが「言問橋」の由来です。
参考までに、「言問団子」は、向島側の、桜橋のたもとにあります。

~~~~~~~~~~

とでんものがたり25=都電になってその③=戦後のどさくさと都電・1

そしてやがて、1945年(昭和20年)8月15日、終戦を迎えますが・・・。
焼け残りの電車、瓦礫(がれき)の街、それが東京の実体です。
乗務員は営業所の片隅にぽつねんと残っている廃バスに住みつく者も多くいたそうです。1946年(昭和21年)頃の銀座では露店の闇市が立ち並びます。
物資の不足は深刻な問題で、一枚の板きれさえも貴重でした。当時の都電も、割れたガラスを板で補強したとしてもそれは貴重で高級だったのです。
 

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