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とでんものがたり・トロリーバス104系統=池袋駅~浅草雷門

104系統=池袋駅~浅草雷門=昭和43年(1968年)3月31日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和43年(1968年)3月31日廃止

池袋駅前=池袋一丁目×=豊島区役所=堀ノ内町=池袋八丁目=掘割=西巣鴨=滝野川二丁目=飛鳥山=王子駅前=堀船町(堀船一丁目)=梶原=昭和町三丁目=尾久駅前=尾久五丁目(西尾久一丁目)=田端新町三丁目=田端新町二丁目=田端新町一丁目=新三河島=三河島四丁目(荒川四丁目)=三河島五丁目(荒川三丁目)=荒川区役所=三河島一丁目(荒川一丁目)=大関横丁=三ノ輪町(三ノ輪二丁目)=日本堤二丁目(日本堤一丁目)=日本堤一丁目(浅草五丁目)=馬道二丁目(浅草六丁目)=馬道一丁目(浅草二丁目)=浅草観音=六区=雷門=浅草=循環=馬道一丁目(浅草二丁目)=



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

これは今も都営バスで走ってますよね。
池袋から浅草行きのバスになっています。^±^
都営バスでは、乗ったことがあります。
それも何度か乗りました。
但し、トロリーバスの停留場とは若干違うと思います。



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。
地図は1960年(昭和35年)2月1日です。

南千住周辺です。
20180331・トロリー104系統・S350201・南千住

トロリーバスの最後は、104系統です。
こちら、池袋から浅草行きで、今は都営バスの路線ですね(2018年現在)。
三ノ輪周辺で浅草行きと亀戸行きと、分かれます。
この系統はその後、浅草公園あたりを通って走ります。

しかし、トロリーバスは、どうしてもマイナーですよね。^±^;
この地図は、ニッチですが、こちらはわかりやすく記してあるほうです。
たいがいは、波線(~~~〇~~~〇~~~)ですよ。
停留所名も小さく書表記されているし。

この地図では、トロリーバスの表記がでかいのはいいんですが。
それはそれで、弊害も。^±^;
まず、この線、「ケーブルカー」と同じ線の種類なんですよね。^±^;
いわゆる、「借り物」扱いです。^±^;
しかも、こんなにも、目立ちすぎると・・・。^±^;
「都電と間違える」と、クレームが来そう・・・。^±^;
どっちに転んでも、「邪魔者扱い」なんだよなあ。^±^;
お前と同じ人生じゃんかよっ!(゚Д゚)ノx±x。

それに、結局、トロリーバスの悪口で終わりかよっ!(゚Д゚)ノx±x。
このコーナーの「本質」が全くないなっ!(゚Д゚)ノ。x±x。・・・だってほとんど乗ったこともないんだもん
 
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とでんものがたり・トロリーバス103系統=池袋駅~亀戸駅

103系統=池袋駅~亀戸駅=昭和43年(1968年)3月31日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。
5.×印は、廃止されました。

赤色=昭和43年(1968年)3月31日廃止

池袋駅前=池袋一丁目×=豊島区役所=堀ノ内町=池袋八丁目=掘割=西巣鴨=滝野川二丁目=飛鳥山=王子駅前=堀船町(堀船一丁目)=梶原=昭和町三丁目=尾久駅前=尾久五丁目(西尾久一丁目)=田端新町三丁目=田端新町二丁目=田端新町一丁目=新三河島=三河島四丁目(荒川四丁目)=三河島五丁目(荒川三丁目)=荒川区役所=三河島一丁目(荒川一丁目)=大関横丁=三ノ輪町(三ノ輪二丁目)=泪橋=【清川】=橋場三丁目(橋場二丁目)=隅田堤(墨田堤)=百花園前=寺島町二丁目(東向島三丁目)=寺島町四丁目(京島一丁目)=橘通り=中居堀=吾嬬東一丁目(文花二丁目)=福神橋=亀戸四丁目=亀戸駅前



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

トロリーバスって、結構遠くまで行きますね。
これなら、一日中乗車しても飽きないかもしれません。
まさに東京都の東から西へ。
トロリーバス、残してもらいたかったですが。^±^
バスの上の電線、邪魔なんだろうなあ。^±^;



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

1960年(昭和35年)2月1日のものです。

こちらは途中で経由する王子周辺です。
20180331・トロリー103系統・S350201・王子

池袋から、王子を通って三ノ輪までは104系統と同じ路線をたどります。
泪橋を渡り、向島を通り、都電の福神橋を横切り、ひたすら南下。

しかし、トロリーバスって、都電ほどメジャーじゃないので、いちいち路線をたどりませんよね。
系統図も、区分地図にはあまり書かれてないし、正直、どこをどう通るか、目を皿にして見ないとわかりませんよね。
それだけに、悲しい末路です。^±^;
都電は、はっきりと地図に書かれていてわかりやすいですけど、トロリーバスって、記されても、せいぜい、波線だもんなあ。
ああ、「波線の人生」って・・・^±^;

波線とは、「~~~~~」ですね。^±^;

・・・うーん、かわいそうだなあ。^±^;
何を憐れんでるんだよっ!(゚Д゚)ノx±x。←こいつの末路と一緒(波線の人生)

そもそも、トロリーバスなのによっ!(゚Д゚)ノx±x
タイトルが「とでんものがたり」じゃんかよっ!(゚Д゚)ノx±x。・・・ア、シマッタ~
 

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とでんものがたり・トロリーバス102系統=池袋駅~品川駅

102系統=池袋駅~品川駅=池袋駅~渋谷駅、昭和43年(1968年)3月31日廃止・渋谷駅~品川駅、昭和42年(1960年)12月11日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和43年(1968年)3月31日廃止
青色=昭和42年(1967年)12月11日廃止

池袋駅=雑司ヶ谷(南池袋三丁目)=鬼子母神前=千登世橋=高田南町(高田三丁目)=戸塚二丁目=諏訪町=戸山車庫=西大久保四丁目=西大久保二丁目=西大久保一丁目=新田裏=【新宿三丁目】?=新宿四丁目=千駄ヶ谷五丁目=千駄ヶ谷四丁目=千駄ヶ谷小学校前=原宿三丁目=表参道=渋谷区役所前=渋谷駅東口

渋谷駅東口=渋谷駅西口=上通四丁目=大橋=上目黒六丁目=中目黒=大鳥神社前=【目黒不動尊】=大崎本町=大崎広小路=五反田駅前=北品川五丁目=御殿山=八ツ山橋=品川駅前



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

トロリーバスは池袋から品川まで走ってたんですね。
ところが、先に渋谷駅から品川駅の間が廃止になりました。
そして、渋谷駅周辺は循環式だったかと思います。
トロリーバス、一度だけ乗った記憶があるんですが。
どこで乗ったのかは、忘れました。^±^←脳みそもトロリー



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

どちらも1960年(昭和35年)2月1日のものです。

こちらは五反田周辺ですね。
20180331・トロリー102系統・S350201・五反田

そして目黒周辺です。
20180331・トロリー102系統・S350201・目黒

都電が華やかだったころ、品川から、都電とは反対側の、京浜急行の走る穂横行から八山橋をくるりと巡り、大崎、五反田、目黒の山手線の外側を走っていたので、あまり目立つこともなく・・・。
渋谷からは山手線の内側に入っていたのですが、山手線に寄り添いすぎて、というよりか、山手線にへばりすぎたのが災いしたのか。乗客もほぼ山手線に奪われていたのでしょうね。
最初は、品川~渋谷が廃止となり、残りの渋谷~池袋で頑張っていたのですがね。
都電廃止のどさくさで、トロリーバスも廃止の憂き目に。
「山手線にへばりすぎた」って・・・^±^;
よく聞くと、悪口じゃんかよっ!(゚Д゚)ノx±x

時代の波には乗れなかったみたい。+±+・・・シンミリ
このブログを書いてる人のような生きざまだなっ!(゚Д゚)ノ。x±x。
 

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とでんものがたり・トロリーバス101系統=今井橋~上野公園

101系統=今井橋~上野公園=昭和43年(1968年)9月30日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和43年(1968年)9月30日廃止

今井橋=瑞江=一之江=西一之江=松江=東小松川=小橋=小松川通=亀戸九丁目=亀戸七丁目=亀戸六丁目=水神森=亀戸駅前=亀戸四丁目=亀戸天神前=太平町四丁目=太平町三丁目=横川橋=横川橋四丁目=押上=業平橋=言問橋=隅田公園=馬道(浅草二丁目)=浅草観音=芝崎町(西浅草三丁目)=入谷町(入谷二丁目)=中入谷=坂本二丁目(下谷二丁目)=鶯谷駅前=上野桜木町(上野桜木)=谷中町(谷中)=根津宮永町(根津一丁目)=池之端七軒町(池之端二丁目)=上野公園



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

都電26系統廃止後にトロリーバスとして走ってみたものの、その命はあまりにも短かったです。
結局は都営バスに変わられてしまいました。
要するにあらゆる使いまわしを受けたモデルケースでした。



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

1954年(昭和29年)6月10日です。
20180331・トロリー101系統・S290610・上野公園

昭和29年で走ってたトロリーバスは、この路線のみでした。^±^
26系統の、東荒川から今井まで走ってた都電が廃止になって、トロリーバスが代りに走るようになったそうです。
終点はこちら、上野公園だたのですが、距離は結構あったんじゃないかなあ。

こちらは、1960年(昭和35年)2月1日です。
20180331・トロリー101系統・S350201・亀戸

亀戸周辺ですね。亀戸駅から北へ走り、亀戸天神を通り、さらにそこから北へ。
押上、言問橋を渡り、浅草、さらに鶯谷経由で、上野公園まで。

もっとも、トロリーバスは、あまり乗ったこともなかったんですがね。
乗った時の記憶も一度しかなく、やけに揺れた記憶のみ。
記憶が薄くて、どうも曖昧なのですが、池袋あたりで乗ったのかなあ。あるいは上野か・・・。
乗った場所すらその程度のものですからね。^±^;
シートも硬かったような・・・。^±^;
 

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とでんものがたり・41系統=志村橋~巣鴨車庫前

41系統=志村橋~巣鴨車庫前=昭和41年(1966年)5月29日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和41年(1966年)5月29日廃止

志村橋=長後町二丁目◎=長後町一丁目◎=志村坂下=志村坂上=小豆沢町◎=蓮沼町=清水町=富士見通:大和町=板橋十丁目:板橋本町=板橋八丁目:仲宿=板橋区役所=板橋五丁目◎=板橋駅前=滝野川五丁目=西巣鴨=新庚申塚=巣鴨四丁目=巣鴨車庫

◎=板橋、小豆沢などは、住居表示変更後にこの系統が廃止されたので、電停名が変更してから廃止した可能性あり(停留所名不明)
下線:昭和30年台からの電停=板橋区が地番整理する前の電停(昭和29年版「東京ちょいとマップ」にて確認)



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

下板橋×=板橋郵便局前×=御代ノ台(滝野川五丁目)=西巣鴨町(西巣鴨)=庚申塚(新庚申塚)=巣鴨四丁目=巣鴨二丁目(巣鴨車庫)

注釈
1935年(昭和10年)、電車は巣鴨車庫差から先は、下板橋止まりです。



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

板橋区を走ってた都電ですね。
終点が巣鴨車庫なので話にならない・・・。^±^;
東京都心まで行くのには夢のまた夢です。^±^;
そんなに田舎扱いするなよなっ!(゚Д゚)ノx±x
1回乗り継げば行けるだろうがっ!(゚Д゚)ノx±x。
でも、巣鴨車庫と巣鴨駅って隣なんですから、次の電停の「巣鴨駅前」まで伸ばしてもいいものを。
電停名の「板橋駅前」っていうのは名ばかりで、地図で確認してみると、板橋駅からちょっと遠いんですよね。



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

すべて、1960年(昭和35年)2月1日です。

滝野川です。
20180331・都電18系統その1・S350201・滝野川比較

板橋です。
20180331・都電18系統その2・S350201・板橋比較

志村です。
20180331・都電18系統その3・S350201・志村比較

志村橋です。
20180331・都電41系統・S350201・志村橋

41系統は、昭和30年(1955年)6月10日に、志村~志村橋まで開通し、比較的新しい都電でした。
なのに、廃止は人一倍早く、昭和41年(1966年)5月29日には廃止され、わずか11年足らずの、短い生涯でした。
都電ができたのは、板橋区民念願だったようで、廃止を残念がるかと思いきや・・・。
車社会になると、とたんに都電は邪魔者扱いされ、隅っこに追いやられ、挙句の果てに廃止に追い込まれたのです。
・・・悲しい宿命です。+±+

ずいぶんつれない話だよなあ。^±^;

「長後町」は北豊島郡志村大字本蓮沼の字名からつけたらしいのですが、現在は住居表示となり、消えてしまいました。
現在は「坂下」、「東坂下」ですが、もちろん志村坂のことです。ただ、志村坂は正式ではなく、正しくは「清水坂」というそうです。

「小豆沢町」は中山道の志村一里塚がある場所です。小豆(あずき)を積んでいた船が沈んで、その小豆が川の水面に浮かび、小豆の沢のように見えたことから小豆澤(後に小豆沢)と呼ばれるようになったのがこの町名の由来のようです。
てか、船が沈んだのを町名にしたのかよ。^±^;・・・他人の不幸を

「蓮沼町」は江戸時代の村名「蓮沼村」が由来ですが、この地に沼の形跡はないそうです。場所が若干北へずれて、荒川沿いの湿地帯(現在の坂下・東坂下・舟渡付近)にあった沼地をもとにしたらしいのですが。

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とでんものがたり35=路面電車回想録その④=市外電車のライバルたち・2 (最終回)

一方、地下鉄は、1927年(昭和2年)12月30日、浅草~上野間で開通(地下鉄銀座線)します。
1934年(昭和9年)3月に上野~銀座まで開通、同年6月には新橋まで開通します。
1935年(昭和10年)、新橋~渋谷の工事が始まり、1938年(昭和13年)11月18日、青山六丁目~虎ノ門間が開通。
さらに、1939年(昭和14年)1月に新橋~渋谷間が開通。同年9月より浅草~渋谷の直通運転が開始されました、
 

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とでんものがたり・40系統=神明町車庫前~銀座七丁目

40系統=神明町車庫前~銀座七丁目=昭和42年(1967年)12月10日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和42年(1967年)12月10日廃止

神明町(神明町車庫前)=動坂町(動坂下)「どうざかした」=道灌山(道灌山下)=駒込坂下町(千駄木三丁目)=団子坂(団子坂下)=千駄木町(千駄木二丁目)=八重垣町(根津二丁目)=宮永町(根津一丁目)=七軒町(池之端七軒町→池之端二丁目)=動物園前=上野公園=広小路(上野広小路)=黒門町(上野一丁目)=末広町(外神田五丁目)=旅篭町(外神田三丁目)=万世橋=須田町=神田駅前=今川橋=室町三丁目=室町一丁目=日本橋=通三丁目=京橋=銀座二丁目=銀座四丁目=銀座七丁目



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

神明町車庫前(神明町、後に神明町車庫前、復活)=駒込動坂町(動坂町)=道灌山下(道灌山、後に道灌山下、復活)=駒込坂下町=団子坂下(団子坂、後に団子坂下、復活)=駒込千駄木町(千駄木町)=根津八重垣町(八重垣町)=逢初橋(宮永町)=池之端七軒町(七軒町、後に池之端七軒町、復活)=上野動物園下(動物園前)=上野公園前=上野広小路=黒門町=末広町=旅篭町=万世橋=須田町=神田駅前=今川橋=室町三丁目=室町一丁目=日本橋=通三丁目=京橋=銀座一丁目×=銀座三丁目×=銀座四丁目=銀座七丁目



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

銀座七丁目が終点、というのは何とも中途半端です。
次の停留場は新橋なんだから、そこまで行けばいいのに。^±^;
もっとも、神明町車庫出発、というのも中途半端ですがね。
しかしこの路線も、特に乗ったことがないです。
乗る要素もないし。^±^;
なぜなら、神明町方面は、顔見知りが誰もいなかったし。^±^;

本当に、どうでもいい余話になっちゃいました。^±^;
余話っちゃったなあ。^±^;



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

最後は、「銀座」の比較です。

1954年(昭和29年)6月10日です。
20180331・都電40系統・S290610・銀座比較

1960年(昭和35年)2月1日です。
20180331・都電40系統・S350201・銀座比較

特筆すべきは、昭和35年には「西銀座駅」が出来ていることでしょう。
西銀座駅は、地下鉄丸ノ内線の駅でした。
地下鉄銀座線が並行して走っていて、そちらが本家の「銀座」駅でした。
ところが、西銀座駅は、1964年(昭和39年)に総合駅として、銀座駅に改名されました。
丸の内線が銀座に開業したのが1957年(昭和32年)ですから、西銀座駅はたった7年で駅名変更を余儀なくされたのです。
ではなぜ駅名を変えられてしまったか、というと、日比谷線ができたためです。
日比谷線は、銀座線や丸の内線と垂直に走り、そのため、どちらの駅とも連絡を取れるように作られたので、丸の内線も「銀座」となったのです。

それから、消防署など、いろいろと公共施設が出来てたり・・・。
阪急デパートも、昭和29年から昭和35年の間にできたんだな、とわかります。

「道坂」は、不動坂から来ています。元和年間(1615年~1624年)、万行上人が伊勢の国赤目山で不動明王を授けられ、諸国を回ったのちにこの地に庵を設けたそうです。その後、三代将軍家光により、南谷寺に移され、「不動明王」の坂、不動坂、転じて動坂になったようです。「堂坂」とも書きます。この不動は「目赤不動」ともいいます。

「団子坂」は、坂の近くに団子屋があったという説や、悪路のために転ぶと団子のように転がるという説などがあります。
団子みたいに転がるのは嫌だなあ。^±^;

「旅篭町」は、中山道の宿場として並んだのでこの名前が付きました。東海道、中山道は、五街道でも特に栄えていたのと、日光街道の参拝でにぎわう際にも利用されたといいます。途中、「八百屋お七の大火」で旅篭(はたご)は災難を被り、代替地に移動することになりました。当地の旅篭町は1~2丁目も設けられ町はセブされたものの、肝心の宿は幕末には一軒を残すのみとなってしまいます。代わりに米や炭、塩、酒を扱う問屋が増え、商人の町として生まれ変わりました。

「末広町」は、1869年(明治2年)に誕生しました。上野戦争の翌年でした。戦闘に巻き込まれ家族や屋敷を失った町民たひのために、末広がりでおめでたいまちを願ってつけられたそうです。

「今川橋」は、1961年(元禄4年)にかけられましたが、町人の名主である今川善右衛門の名前からついたそうです。
1950年(昭和25年)、竜閑川が埋め立てられ、この橋は消えました。

いかがだったでしょう?^±^
次回で都電は最終回となりますが、特別にそのあと、トロリーバスの特集も致します。
お楽しみに。^±^ノ

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とでんものがたり34=路面電車回想録その③=市外電車のライバルたち・1

1924年(大正13年)1月より、東京市は市営バスを運行させてます。
当時、「円太郎」という愛称でした。バスはアメリカのフォード社製でした。
形が「円太郎馬車」に似ていたためと言われています。
東京大震災における、車両補修の応急策でしたが、これが東京市営バスの走りです。
 

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とでんものがたり・39系統=早稲田~厩橋

39系統=早稲田~厩橋=昭和43年(1968年)9月29日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和43年(1968年)9月29日廃止

早稲田=早稲田車庫=関口町(関口一丁目)=鶴巻町=江戸川橋=石切橋=東五軒町=大曲=伝通院前=富坂二丁目(富坂上)=春日町(文京区役所前)=真砂町(真砂坂上)=本郷三丁目=春木町(湯島四丁目)=天神下=広小路=御徒町三丁目(御徒町駅前)=西町(東上野一丁目)=竹町(元浅草一丁目)=小島町(元浅草三丁目)=三筋町(三筋二丁目)=桂町(寿三丁目)=厩橋



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。

江戸川橋=水道町(石切橋)=東五軒町=大曲=伝通院前=上富坂=春日町=真砂町=本郷三丁目=本郷区役所前(春木町)=天神下=上野広小路=御徒町(御徒町三丁目)=西町=竹町=小島町=三筋町=桂町=厩橋

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

早稲田=早稲田車庫前=関口町=鶴巻町=江戸川橋=石切橋=東五軒町=大曲=伝通院前=上富坂(富坂二丁目)=春日町=真砂町=本郷三丁目=本郷区役所前(春木町)=天神下=上野広小路=御徒町三丁目=西町=竹町=小島町=三筋町=厩橋

注釈
1923年(大正2年)12月、東京市電は、江戸川橋が始発です。



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

以前、飯田橋に出版社に勤めていたころ、東販(東京出版販売)が東五軒町にありまして、年中、自転車で本を運んでました。
帰りに返本を積まされるのが、嫌だったこと嫌だったこと。^±^;
参考までに、地方小出版は牛込南町にあり、こちらも自転車で納本をしてました。
そして、日販(日本出版販売)は、王子の先の豊島五丁目団地のすぐそばにあり、さすがにそちらへは電車とバスを使ってました。
夕方近くに出発するので、直帰になるのがうれしくて。^±^ノ
王子駅から池袋駅へのバスに乗り継いで西武線で帰ってました。



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

1954年(昭和29年)6月10日です。地図は都電の大曲~伝通院間です。
20180331・都電39系統・S290610・大曲~伝通院

これは大曲から伝通院(でんづういん)にググっと曲がる都電でしたね。^±^
地図で文京区を見ると、やけに印象的な都電でした。おそらく「大曲」というのも、「伝通院」に向かう道と飯田橋方面に曲がる道の曲がり方が大きいから、この名前がついたと推測しますが。

こちらの都電の路線の曲線美には、惚れ惚れします。
こればかりは、地図にて、実際にお確かめください。
この曲がり具合は、まるで、盆栽の曲松(まがりまつ)をほうふつとさせます。
物心がついた時から、この場所の都電の曲線が好きでした。

まあ、いつか都電に乗ろうと思ったころには廃止になってましたが。
時すでに遅かりし。^±^;

「大曲」の電停名から。
神田川の白鳥橋付近を「大曲」といいますが、川が東から南へと大きく曲がるから、この通称名になったようです。
古くは、1658年(万治元年)までは、白鳥池という池があったようですが、そこを埋め立て、現在の神田小川町の住人が集団で移り、今の新宿区新小川町の名前がついたようです。以後、武家屋敷を中心に住宅街と発展しました。
川が曲がっているうえに、ただでさえ池を埋め立てた土地で、おまけに川沿いの地所は護岸よりも低い土地ですから、分水路が整備される以前の1990年頃までは洪水の被害にも悩まされたようです。

「富坂」は、とび職が多かったので、「鳶(とび)」が転じて「富」を充てたようです。また、春日町を谷に見立て、東西二つの坂を総合して指すこともあり、「飛坂(とびさか)」から、縁起がいいということもあったのでしょう、冨坂になったとの説もあります。

したがって、「真砂坂上(まさごさかうえ)」の「真砂坂」は「東冨坂」とも言われてます。
詳しい由来は不明です。どうも古今和歌集の歌から来ているらしいのですが。
 君が代は 限りもありじ 長浜の 真砂の数は よみつくすとも

「御徒町」は、江戸時代、江戸城や将軍の護衛を行う下級武士、つまり騎乗が許可されない武士である御徒(徒士)が多く住んでいたところから、この名前がついたそうです。

~~~~~~~~~~

とでんものがたり33=路面電車回想録その②=市電の大事故

東京市電の代表的な大事故です。いずれも市電時代の事故で、4つの事故以降は大きな事故は起こっていません。
1910年(明治43年)7月17日、赤坂見附にて。東京鉄道の車両が追突転覆。
1925年(大正14年)8月28日、紀の国坂にて。電車が転覆。
1928年(昭和3年)7月3日、大曲にて。ブレーキ故障した電車が下り坂を暴走し、坂の下の電車の側面に衝突。
1940年(昭和15年)7月11日、春日町交差点にて。ブレーキ故障した電車が下り坂を暴走し、坂の下の電車の側面に衝突。
 

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とでんものがたり・38系統=錦糸町車庫前~日本橋

38系統=錦糸町車庫前~日本橋=錦糸町車庫前~門前仲町、昭和47年(1972年)11月12日廃止・門前仲町~日本橋、昭和46年(1971年)3月18日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和47年(1972年)11月12日廃止
青色=昭和46年(1971年)3月18日廃止

錦糸町車庫前=錦糸堀=亀戸駅前=水神森=堅川通=大島三丁目=大島一丁目=北砂町二丁目(北砂三丁目)=北砂町一丁目(北砂二丁目)=境川=南砂町三丁目(南砂三丁目)=南砂町一丁目(第四砂町小学校)=南砂町四丁目(南砂二丁目)=東陽公園=洲崎=木場三丁目(木場五丁目)=木場一丁目(木場二丁目)=富岡町=不動尊前=門前仲町=永代二丁目=佐賀町一丁目=永代橋=新川一丁目=茅場町=日本橋



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。

門前仲町=永代二丁目(黒江町)=佐賀町一丁目(相川町)=永代橋=新川一丁目(霊岸橋)=茅場町=日本橋

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

錦糸堀~十間川×~五ノ橋通(亀戸駅前)~水神森~千葉街道口×~堅川通~大島×~小名木川×~砂町×~境川~稲荷前~豊平町~東平野町~東陽公園前~洲崎(城東電車)

洲崎=木場町三丁目=木場町一丁目=富岡町二丁目(富岡町)=不動尊前=門前仲町=永代二丁目=佐賀町一丁目=永代橋=新川一丁目=茅場町=日本橋

注釈
1935年(昭和10年)、錦糸堀から洲崎までは「城東電車」。



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

こちらも一部、城東電車でした。
一部、専用軌道もありました。何も廃止しなくてもよかった電車です。
亀戸駅から、東陽公園までは都電として残してもよかったんじゃないかと。
この路線は乗ったことはなかったですが。^±^;
江東区の親戚の家が近くを通り、亀戸から歩いたことがありましたが遠かったので、こんな電車があったら便利だったなあ、と思ってます。
本当に遠いです。^±^;



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

「日本橋」の比較です。

1954年(昭和29年)6月10日です。
20180331・都電38系統・S290610・日本橋比較

1960年(昭和35年)2月1日です。
20180331・都電38系統・S350201・日本橋比較

この地図比較で特筆することは、東京駅の周辺の地名ですね。
昭和29年では、日本橋呉服橋、槇兆(まきちょう)だったのが、昭和35年には「八重洲」に変更してます。
なにゆえに、急にハイカラな地名に?^±^;
ご存知の通り、八重洲は、オランダ人のヤン・ヨーステン氏からつけられた名前です。
彼は、江戸時代に漂着したのちに、徳川家康の通訳となり、また国際情勢の情報を知らせたりと、手助けをし、それが為に、家康も彼に屋敷を分け与えました。
それにしても、「ヤン・ヨーステン」から「ヤエス」なんて、名前に無理があるんじゃないかと思われることでしょう。
実は、ヤン・ヨーステンは、和名で、「耶楊子(やようす)」という名前を頂戴し、そこから八重洲になったといいます。

それでも無理があるぞ!(゚Д゚)ノx±x

「砂町~」。砂町というのは、実は、江戸時代、砂村新左衛門一族が宝六島を開拓した時に開拓者の名前を取り「砂村」となったので、正しくは「砂村町」とすべきだったそうです。
南砂はそれまでは「宝六島」と呼ばれていたそうです。

「境川」は、「東京府南葛飾郡砂町大字久左衛門(新田)字境川付」の小字名から来ているものと思われます。
こちらも、もとは都電(市電)ではなく、「城東電車」でしたので、「王子電車」などと同様、町名ではなく小字名を駅名にしたものが多いと思われます。

「佐賀町」は、江戸時代は1695年(元禄8年)の検地後、この地形が肥前国佐賀湊に似ているために名付けられたので町名になったといいます。

「永代橋」、「永代二丁目」ですが、当時佐賀町付近が「永代島」と呼ばれていたからという説と、江戸幕府が末永く代々続くようにという慶賀名という説(「永代島」は「永代橋」から採られたとする)があります。永代橋が架橋されたのは1698年(元禄11年)8月といいます。古い橋です。忠臣蔵で、吉良上野介の討ち入り以降、泉岳寺に向かう道で、首を掲げ勝鬨(かちどき)をあげてこの橋を渡ったといいます。

~~~~~~~~~~

とでんものがたり32=路面電車回想録その①=小鉄道の買収

東京市電時代から東京都電に変わる間、電車の買収もありました(市電化、都電化)。
1938年(昭和13年)11月4日(東京市電)、渋谷駅~天現寺橋(2.5キロ)、渋谷橋~中目黒(1.4キロ)、以上、東急東横線より
1942年(昭和17年)2月1日(東京都電)、三ノ輪橋~早稲田(12.3キロ)、王子駅~赤羽(4.1キロ)、以上、王子電車より
1942年(昭和17年)2月1日(東京都電)、錦糸町~西荒川(3.6キロ)、水神森~洲崎(4.5キロ)、東荒川~今井(3.2キロ)、城東電車より
1951年(昭和26年)4月5日(東京都電)、新宿~荻窪(7.5キロ)、西武電車(杉並線)より
 

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とでんものがたり・37系統=三田~駒込千駄木町(千駄木二丁目)

37系統=三田~駒込千駄木町(千駄木二丁目)=昭和42年(1967年)12月10日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和42年(1967年)12月10日廃止

三田=芝園橋=芝公園=御成門=田村町四丁目(西新橋三丁目)=田村町一丁目(西新橋一丁目)=内幸町=日比谷(日比谷公園)=馬場先門=和田倉門=大手町=神田橋=美土代町=小川町=淡路町=松住町(外神田二丁目)=旅篭町(外神田三丁目)=末広町(外神田五丁目)=黒門町(上野一丁目)=上野広小路=上野公園=動物園前=七軒町(池之端七軒町→池之端二丁目)=宮永町(根津一丁目)=八重垣町(根津二丁目)=千駄木町(千駄木二丁目)



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

三田=四国町×=芝園橋=増上寺前(芝公園)=御成門=田村町四丁目(西新橋三丁目)=田村町(田村町一丁目)=内幸町=日比谷(日比谷公園→日比谷)=馬場先門=和田倉門=大手町=神田橋=美土代町=小川町=淡路町=松住町=旅篭町=末広町=黒門町=上野広小路=上野公園=上野動物園下(動物園前)=池之端七軒町(七軒町、後に池之端七軒町、復活)=逢初橋(宮永町)=根津八重垣町(八重垣町)=駒込千駄木町(千駄木町)



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

うーん、この路線は全く知りませんでした。^±^;
三田から大手町を通り、外神田、上野公園、と経由し、千駄木へ。
堂々と東京の真ん中を通ってはいるのですが、なんとなくマイナーな路線で。
・・・何に例えよう。^±^;
ドリフターズみたいなんだけど、荒井注さん、みたいな・・・。^±^;
早々と消えちゃってるし。^±^;

ナンダバカヤロウ!(゚Д゚)ノ。x±x。



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

「芝公園周辺」の比較です。

1954年(昭和29年)6月10日です。
20180331・都電37系統・S290610・芝公園比較

1960年(昭和35年)2月1日です。
20180331・都電37系統・S350201・芝公園比較タワー有

昭和35年の地図を見れば、東京タワーが出来てますね。^±^ノ
また、この辺りは大使館が多いので、どこの大使館が出来たとか、そんな国レベルの関係と当時の時代背景を吟味しつつ、地図上にてお楽しみください。

これぞ、地図の味わい深さですね。^±^ノ

「三田」の由来から。
こちらは目黒区三田とも所縁(ゆかり)があります。どちらも同じ「三田郷」を起源とする荏原郡三田村の飛び地だったそうです。
この地に朝廷に献上する米を作る屯田(みた)が存在したからとも、伊勢神宮または御田八幡神社の神田(みた)があったからともいわれてます。

「美土代町」。地名の由来は神社の領田ですが、「神田」と「美土代」とは同じ意味を指してます。
つまり、「神田神田町」って、いうことでしょうか。^±^ノφ ウズウズ
♪カンダカンダ~、カンダカンンダカンダ~・・・φ^±^ノ
「ブルーハーツ」か!(゚Д゚)ノx±xノφ
それは「リンダリンダ」だろうがっ!(゚Д゚)ノx±x。ノφ・・・ドブネズミみたいに美しくなりたい

「黒門町」。寛永寺総門の通称を「黒門」というところから、町名になりました。落語家の8代目桂文楽が西黒門町に居を構えていたために、「黒門町」という愛称で呼ばれてました。

~~~~~~~~~~

「とでんものがたり・番外編3」=都電全盛期の環境

都電全盛期のころ、昭和30年代から40年代初め(1060年代)ですが、乗客は1日平均160万人。
その半分近くが勤労者や学生といいます。
庶民の都電の不満はノロノロ運転で、制限速度が35キロだったそうです。平均速度は12.88キロ。
本当はカミナリ運転をすれば50~60キロは軽く出せたというのに。
「カミナリ運転」って・・・^±^;
 

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とでんものがたり・36系統=錦糸町駅前~築地

36系統=錦糸町駅前~築地=昭和46年(1971年)3月18日廃止

注釈
1.大体1950年代の地名、26系統があったころの、昭和27年(1952年)5月21日以前と考え、当時の地名の電停名で載せてます。
2.( )は、地名の変更・電停変更等による改名後の電停名です。
3.【 】は、新しく設置された電停名です。
4.この系統で、廃止された日時別に、色分けで示しています。

赤色=昭和46年(1971年)3月18日廃止

錦糸町駅前=錦糸堀=毛利町=住吉町二丁目=住吉町一丁目=菊川二丁目=菊川一丁目=森下町=新大橋=浜町二丁目=浜町中ノ橋=水天宮前=蛎殻町=茅場町=西八丁堀(西八丁堀二丁目)=桜橋=新富町=築地二丁目=築地



昔の東京の路面電車。^±^ノ

1.=は、都電が走ってた区間です。
2.~は、都電が早々と廃止された区間です。
3.×は、廃止された電停です。
4.( )は、その後に改正された電停名です(わかりやすいように)。
5.(←注釈)は、注釈入りです。
6.?は不明のもの、位置不明、もしくは電停が一致しているか不明など

青緑色=1923年(大正2年)12月、東京市電。

菊川橋=徳右衛門町(菊川二丁目)=富川町(菊川一丁目)=森下町=安宅町×=新大橋=中ノ橋(浜町中ノ橋)=水天宮前=蛎殻町=茅場町=北島町(西八丁堀一丁目)=八丁堀(西八丁堀三丁目)=桜橋=新富町=築地橋(築地二丁目)=本願寺前(築地)

茶色=1935年(昭和10年)、東京市電末期。

錦糸町駅前=錦糸堀=毛利町=住吉町二丁目=住吉町一丁目=菊川橋×=菊川二丁目=菊川一丁目=森下町=新大橋=浜町二丁目=浜町中ノ橋=水天宮前=蛎殻町=茅場町=西八丁堀一丁目×=西八丁堀三丁目×=桜橋=新富町=築地二丁目=築地



都電地図。^±^ノ

都電地図です。内容は以下の通りです。
昭和35年・都電とトロリーバス地図(4枚)、昭和43年都電(4枚)、昭和46年都電(1枚)
下記をクリックしてください。^±^

都電地図。^±^ノ

都電目次。^±^ノ



どうでもいい余話。^±^;

錦糸町は都電の宝庫でした、最盛期には、6路線も乗り入れてました。
南に5路線、北に1路線。
しかも錦糸町駅前には都電の電停が入り組んであり、京葉道路を渡ると次の電停だったり、駅のロータリーの西と東はもう違う電停だったり、そんなに駅を造らなくてもいいじゃん、と思いました。

まあ、錦糸町は都電の為にある駅でしたね。^±^;



とでんものがたり。^±^ノ

写真は、1024ピクセルのサムネイル版で、やや大きな写真です。
クリックしていただければ、より大きな画像となります。

錦糸町の地図です。

1969年(昭和44年)7月、錦糸町周辺です。
20180331・都電16系統・S440700・錦糸町比較

その拡大図です。
20180331・都電36系統・S4407・錦糸町駅前拡大

余話でも書きましたが、もう一度強調します。^±^;
錦糸町、都電の巣窟です。^±^;・・・「そうくつ」って
この通り、「錦糸町駅前」から、京葉道路を渡ると「錦糸堀」の電停だったり。
京葉道路を通る都電も、「錦糸堀」からちょっと行くと「車庫前(錦糸堀車庫前)」だったり。
それよりも、駅の北口にある「錦糸町駅前」電停のほうが遠かったり。
拡大図で見ても、こんなに駅を作って、とあきれるほどです。
ああ、税金の無駄遣い・・・。^±^;
ああ、あきれるなあ。^±^;

こんなブログを延々と書くほうがあきれるわ!(゚Д゚)ノx±x
よく飽きないなっ、お前はよっ!(゚Д゚)ノx±x。
お前のブログのほうが税金の無駄遣いだぞ!(゚Д゚)ノ。x±x。

というわけで反省して、電停の駅名の由来について。^±^;

錦糸町の次の「毛利町」です。
毛利藤左衛門により毛利新田が開発され、この地名が付きました。毛利氏は今の千代田区隼町に住んでいました。毛利町の南には猿江町がありますが、こちらは、もっと歴史が深く、1058年頃(康平)に「源義家臣猿藤太」と書かれた鎧を着た武士の遺体がこの地に流れ着き、住民たちが祠を建て手厚く弔ったという伝説があります。
でも、どざえもんが発祥って・・・^±^;

「菊川〇丁目」の「菊川」は川の名前ですね。町の西側を流れてました。江戸時代初期は「本所南横堀」と呼ばれて、もと紅葉山御掃除之者の拝領町屋敷でした。1683年(天和3年)青山に代地を与えられて「青山六軒町」となった末に、1696年(元禄9年)町屋として、「菊川町」の名前が初めてつきました。後に遠山景元の下屋敷となります。

「森下町」は、江戸初期に深い森があったのでこの地名が付けられたといいます。

「蠣殻町」は、東京穀物商品取引所があった場所ですが、由来は、昔は漁師の小網の干し場であり、牡蠣の殻の堆積した海浜だったから、と言われていますがはっきりとはされてないようです。

~~~~~~~~~~

とでんものがたり31=都電になってその⑨=それでも都電は生きている

こうして、1972年(昭和47年)には1つの路線(正確には2路線をひとつにしたのですが)を除いて全部廃止されてしまいました。
都電荒川線は、そんな、大活躍したのにお払い箱でどんどん隅に追いやられていった他系統の都電たちの心を一手に引き受け、今も走っています。
この路線は、東京都区内の西から東へと結ぶ、或いは、東から西へと結ぶ貴重な生活路線です。
車内には山の手と下町とのコミュニケーションにあふれ、今日も、元気に走り続けています。
 

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